解題・説明
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東山は、現在の大師町・末広町・河合寺のあたりに、広がっていた山の呼称でした。この山の内、河合寺村領以外の地は長野村・西代村・古野村の共有山となっていました。しかし、長野村がそこで新田開発をおこなったことで、相論が起こり、大坂町奉行所への訴訟に発展します。この絵図はそれを受け、明和8年(1771)に大坂北谷町の絵師塚本屋利八が、関係者村立ち会いの元、描いたものです。1枚目は論所の掛紙のある状態、2枚目は論所掛紙を外した状態、裏書部分には表絵図に間違いないということで、長野村・西代村・古野村の村役人ほか関係者の名前が書かれています。
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