概要
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菊池川と迫間川の合流点の内側に位置し、北の台城、増永城、南の馬渡城・打越城と呼応して西方よりの敵を水際で撃破するための城であったとされる。菊池氏8代能隆の子隆時の居城(後に加恵氏)で大きな城であったという。 加恵三社の諏訪宮、櫛田宮、須賀神社は、寛治年間(1087~1094)菊池2代経隆の勧請によるもので、菊池氏が深川に城を構えて間もなく建立されたものと思われる。以前は、現在の城跡の東20mくらいのところに小高い丘があり、そこに樹木が2~3本あって、その周囲は沼地になっていたが、土地改良事業により丘はなくなり、現在地へ移転せざるを得なくなった。
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