概要
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南北朝期の城郭は戦国時代以後に築かれた壮麗な天守閣などのある城とは趣を異にし、山岳、丘陵、河川等の地勢がけわしくなっている箇所を利用し塁(土をつみ重ねた小城)や壕を設けて築いた山城だった。 菊池一族は、守山城を本城とし、本城を防衛するための拠点として、また地域を治める目的で多くの外城を設けた。 「菊池十八外城」という呼び名は江戸時代からの伝承で、もともとどれが「十八外城」であるということは明確ではなかったようである。江戸時代の神職・渋江松石が記した『菊池風土記』の中に、「菊池十八外城」という呼び名の十八の城を示した。これが今日の「菊池十八外城」という呼称の始まりとされる。 菊池神社内に碑がある。 菊池十八外城 菊之城 (深川) 古池城 (出田) 戸崎城 (今) 止林城 (木庭) 元居城 (重味) 葛原城 (野瀬) 黄金塚 (四町分) 掛幕城 (原) 市成城 (原) 鷹取城 (龍門) 五社尾城 (雪野) 神尾城 (七城町水次) 台城 (七城町台) 増永城 (七城町砂田) 正光寺城 (七城町加恵) 馬渡城 (七城町亀尾) 打越城 (七城町蘇崎) 亀尾城 (七城町亀尾)
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