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目録ID a00192
タイトル 伊牟田塾跡
タイトル(カナ) イムタジュクアト
タイトル(ローマ字)
その他のタイトル
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
著者
著者(カナ)
作成者(ローマ字)
宛先
宛先(カナ)
宛先(ローマ字)
出版者
製作者(カナ)
製作者(ローマ字)
成立年月日 1848年(嘉永元年)
製作年終
数量
形態
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大きさ(横)
大きさ(高さ)
材質
形態に関する注記
保存状況
収録時間
縮尺
備考
言語
ISBN
ISSN
件名
件名(カナ)
件名(ローマ字)
地域 泗水
地域(カナ)
地域(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容細目
内容細目(カナ)
内容細目(ローマ字)
概要  「伊牟田塾」は「三省塾」、「清乃家(きよのや)」とも称され、田島天満宮神主伊牟田泉により、嘉永元年(1848)に創設された私塾である。以来明治17年まで開講され、泉の学徳を慕い集う者は、藩内はもとより、遠くは兵庫、和歌山からの入門者もあり、その数は500人余にもなった。
 「肥後先哲偉蹟」によれば、泉を「神道講釈を以て世に鳴る。又宮崎、鹿児島に入り、大いに皇道の扶植(ふしょく)に努む。」とあり、藩主細川斎護(なりもり)、韶邦(よしくに)にも神道を進講している。嘉永元年の32歳のとき、玉名の伊倉八幡宮で十昼夜の皇道説教を行う。同地の僧らはこれを聞き憤激し、論戦を挑んだ。70余寺の僧侶を相手に八昼夜に及ぶ神仏大論争が行われた。泉は相手を論破し更に名声を高めた。嘉永5年(1852)には、八代城代松井章之より私塾建築用材が支給され、明治4年(1871)錦山神社(現在の加藤神社)が創設され初代祠官となる。明治25年没、享年76歳。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 菊池市立図書館
原資料の所在地
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 建造物
資料種別 学習:史跡
資料群名
資料分類(中分類) 郷土資料
資料分類(小分類) 文化財
文化財情報 市指定文化財
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情報源(自治体史)
情報源(出版物・関連資料) 『菊池市の文化財』
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権利関係・利用条件 CC BY-NC(表示-非営利)
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撮影者 中央図書館
撮影者(カナ) チュウオウトショカン
翻刻
字名 田島
DOI
既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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