概要
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「伊牟田塾」は「三省塾」、「清乃家(きよのや)」とも称され、田島天満宮神主伊牟田泉により、嘉永元年(1848)に創設された私塾である。以来明治17年まで開講され、泉の学徳を慕い集う者は、藩内はもとより、遠くは兵庫、和歌山からの入門者もあり、その数は500人余にもなった。 「肥後先哲偉蹟」によれば、泉を「神道講釈を以て世に鳴る。又宮崎、鹿児島に入り、大いに皇道の扶植(ふしょく)に努む。」とあり、藩主細川斎護(なりもり)、韶邦(よしくに)にも神道を進講している。嘉永元年の32歳のとき、玉名の伊倉八幡宮で十昼夜の皇道説教を行う。同地の僧らはこれを聞き憤激し、論戦を挑んだ。70余寺の僧侶を相手に八昼夜に及ぶ神仏大論争が行われた。泉は相手を論破し更に名声を高めた。嘉永5年(1852)には、八代城代松井章之より私塾建築用材が支給され、明治4年(1871)錦山神社(現在の加藤神社)が創設され初代祠官となる。明治25年没、享年76歳。
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