概要
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菊池郡田島(たしま)村(現泗水町田島)にある田島菅原神社の神職を務め、私塾(しじゅく)を設けて地域の教育に尽力した。江戸時代の終りから明治時代の人物。 神道家(しんとうか)としてよく知られ、1836年(天保10)、23歳にして細川藩主をはじめ、九州の諸大名にも招かれ神道の講演を行う。その後、九州における尊皇攘夷(そんのうじょうい)運動を牽引(けんいん)する役割を担った。 和学・漢学が得意で、門弟(もんてい)の教育にも熱心だったため、評判を聞きつけて諸国から多くの者が学びに来るほどだった。 1848年(嘉永元)、私塾「清乃屋(せいのや)」(伊牟田塾)を開き、漢学・筆通・算術を教えた。伊牟田が68歳になった1884年(明治17)まで、清乃屋は多くの門弟を輩出した。1892年(明治25)に76歳で亡くなる。
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