概要
|
隈府中町に生まれる。名を充通、字を礼卿、通称を弥三次、号を静軒、静軒老漁、水明楼という。 菊池武時の一子木野対馬守武茂を祖とする。菊池家没落の後、子孫は隈府町で商業を営んだ。父は喜平、母は宗氏の出である。 幼い時より学問を好み、渋江松石(しぶえしょうせき)の「星聚堂(せいしゅうどう)」に入る。その後松石の子、涒灘(とんだん)や桑満伯順(くわみつはくじゅん)に習い、時習館訓導の阿部仙吾の門に入る。書家として著名であり、細川家の子息などにも指導を行う。細川藩の軍艦「龍驤丸(りゅうじょうまる)」に名を入れたことでも有名である。 著作に『静軒日録』など。 学問や書道のみならず、武技全般も修めた。 1873(明治6)年8月没。享年74歳。墓は隈府町西照寺にある。
|