概要
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10代菊池武房の孫。11代である兄時隆の死去により家督を継ぐこととなった。鎌倉幕府討伐の機運が高まっている時代であり、武時は倒幕派につき九州における鎌倉政権の一掃を謀る。1333年(元弘3年)、幕府下にあった鎮西探題を攻めようとするが周囲の武士団との連携がうまくいかず、武重や武光らを菊池へ返した(「袖ヶ浦の別れ」)あと、菊池氏のみの単独で探題へ討ち入り敗れた。この戦いによる人骨などが博多で発見され、菊池神社歴史館に祀られている。 墓所としては福岡市七隈の菊池神社(胴塚)、同市六本松(首塚)、山鹿市の日輪寺(供養塔)があり、また菊池市の菊池神社、福岡市の菊池神社の主祭神として祭られている。
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