「下郡村水帳之写」他4冊の検地帳は、善場家文書の一部で、木更津市史編さん事業に関する史料調査の過程で発見されました。同文書には、検地帳に加え、江戸時代後期から明治期にかけての土地証文や大正~昭和期の金銭出入帳のほか、旧請西藩主林家に関する「林家維持法草案」なども含まれています。同家は、下郡村の有力者として、請西藩とも関係を持ちながら、近世・近代の地域社会を支えた家だったと見られます。「下郡村水帳之写」「田」「畑」の3冊は、元号や干支が誤字記載され、写本年も不明ですが、天正19年(1591)の検地帳の写しです。また、「寛永八未年新田畑検地帳」「寛永八未年土屋但馬守殿帳面遠用地押改帳」は、天正19年から40年後の寛永8年(1631)に作成された検地帳を享保4年(1719)に写したものです。