野口(のぐち)雨情(うじょう)(1882-1945) 1882年(明治15)多賀郡北中郷村磯原(現・北茨城市磯原町)に生まれる。地元の高等小学校を卒業後東京専門学校(現・早稲田大学)中退。『船頭小唄』『波浮(はぶ)の港』をはじめ地方民謡も数多つくり、主として作曲の中山(なかやま)晋平(しんぺい)と組み、大正末から昭和初頭にかけて民謡詩人として人気を得る。児童雑誌『金の船』『金の星』を中心に童謡をつくり、本居(もとおり)長世(ながよ)・中山(なかやま)晋平(しんぺい)の曲で北原(きたはら)白秋(はくしゅう)・西城(さいじょう)八十(やそ)と並んで童謡運動の中心として活躍した。『七つの子』『あの町この町』『証城寺の狸囃子』『兎のダンス』など今日でも国民的童謡として人気がある。