小平市史別冊図録 「近世の開発と村のくらし」
目次 | 該当ページを表示 | |
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はじめに | p2 | |
1 国絵図に記された村々 | p9 | |
1 「武蔵野」の頃─正保国絵図─ | ||
2 小川村成立後─元禄国絵図─ | p10 | |
3 武蔵野新田成立後─天保国絵図─ | p11 | |
2 村ができるまで | p12 | |
4 鎌倉街道 5 戦国時代の集落分布と地下水 | ||
6 青梅街道 7 五日市街道 8 玉川上水と武蔵野への分水路 | p13 | |
3 小川村の開発 | p14 | |
開発のはじまり | ||
9 開発人小川九郎兵衛の墓 10 田無村の承諾 | ||
入村してくる者たち | p15 | |
11 「入村請書」という文書 12 小川村の入村者 | ||
地割図にみる景観 | p16~17 | |
13 描かれた小川村 14 小川村地割図(トレース図) | ||
延宝2年頃「(小川村地割図)」、トレース図を表示 | ||
15 小川分水に続く取水口 16 短冊型地割 17 作場と武蔵野 | p18 | |
開発の進展 | p19 | |
18 地目の内訳 19 土地開発の経過 20 小川村百姓の階層構成 | ||
小川九郎兵衛が招致した寺社 | p20 | |
21 小川寺 22 妙法寺 23 神明宮(小平神明宮) 24 日吉山王社(日枝神社) | ||
小川家と百姓 | p21 | |
25 小川家の特権 26 小川家と百姓の対立 | ||
くらしと馬 | p22 | |
27 小川村の家数・馬数・馬所持率 28 馬喰と口入人 29 馬医 | ||
土地移動と開発人 | p23 | |
30 小川家への土地返却 31 小川家が介在する土地移動(概念図) | ||
4 享保期武蔵野新田の開発と政策 | p24 | |
享保改革と武蔵野の開発 | ||
32 享保改革期の武蔵野新田 33 大岡忠相と役人集団 | ||
現小平市域の享保期新田 | p25 | |
34 「南北武蔵野出百姓草分書出帳」と鈴木家 35 家数の多い新田村 | ||
開発をめぐる矛盾 | p26 | |
36 家作料と農具料の支給 37 高額な年貢賦課 | ||
川崎平右衛門定孝の登用と事績 | p27 | |
38 新田の荒廃と川崎定孝の登用 39 川崎定孝の事績 | ||
武蔵野新田の助成制度 | p28 | |
40 川崎定孝の肥料貸付 41 養料金并溜雑穀制度 | ||
42 川崎・伊奈に対する謝恩塔(現国分寺市) 43 養料金を根拠とした負担回避 | p29 | |
5 小川新田の開発 | p30 | |
開発願いと開発地の割り渡し | ||
44 小川弥市の開発願い 45 小川弥市に割り渡された開発地 46 小川村に割り渡された開発地 | ||
小川新田内の地区と開発 | p31 | |
47 小川新田の「出百姓分」と「持添分」 48 小川新田の入村者 | ||
49 屋守の入村 50 出百姓分の階層構成(宿並北側と山家) | p32 | |
元文検地と小川新田 | p33 | |
51 元文検地帳にみる小川新田のすがた | ||
52 元文検地の案内人 53 小川新田と小川村の関係(概念図) 54 「出百姓分」と「持添分」の年貢収納 | p34 | |
小川新田の寺社 | p35 | |
55 平安院 56 熊野宮と一本榎 | ||
6 鈴木新田の開発 | p36 | |
貫井村と鈴木新田 | ||
57 貫井村と鈴木新田の位置関係 58 現在の小金井市貫井付近と貫井橋 | ||
貫井村百姓と新田開発 | p37 | |
59 貫井村名主利左衛門らと善左衛門の約束 60 開発地の割渡証文 | ||
61 利左衛門から善左衛門への開発地の割り渡し 62 開発請負人の交代 | p38 | |
入村百姓のすがた | p39 | |
63 利左衛門から儀右衛門への開発地割渡証文 64 入村百姓の記録 | ||
65 鈴木新田の入村者 66 現在の吉見町と川島町 | p40 | |
「野中新田」の頃 | p41 | |
67 野中新田名主からの年貢受取証 68 野中新田名主からの年貢受取帳簿 | ||
元文検地と鈴木新田 | p42 | |
69 元文検地帳にみる鈴木新田のすがた 70 鈴木新田百姓の階層構成 | ||
鈴木新田の寺社 | p43 | |
71 海岸寺 72 宝寿院 73 鈴木稲荷神社(鈴木町) 74 上鈴木稲荷神社(上水本町) | ||
鈴木新田の諸様相 | p44 | |
75 鈴木新田の悪水堀と田場(模式図) | ||
76 描かれた「上鈴木」 77 鈴木ばやし(小平市無形民俗文化財第1号) | p45 | |
7 野中新田の開発 | p46 | |
大堅らと江戸町人の新田開発計画 | ||
78 開発仲間証文 79 開発当初の野中新田村役人と円成院 | ||
円成院の引寺 | p47 | |
80 海福禅寺からの末寺票 81 円成院の引寺願 | ||
82 上谷保村にあった円成院の絵図 83 藤井山円成院跡(現国立市) 84 南養寺大悲殿(現国立市) | p48 | |
野中新田の組分け | p49 | |
85 野中新田の組分け当時 | ||
元文検地と野中新田 | p50-51 | |
86 元文検地帳にみる野中新田のすがた 87 野中新田百姓の階層構成 | ||
野中新田善左衛門組の村域 | p52-53 | |
88 描かれた野中新田善左衛門組 89 描かれた野中新田善左衛門組(模式図) | ||
明治2年9月「(村絵図)」、模式図を表示 | ||
野中新田の寺社 | p54 | |
90 円成院と大堅の遺偈 91 延命寺 92 鳳林院(現国分寺市) 93 稲荷神社(上水南町) | ||
野中新田と江戸 | p55 | |
94 江戸町人が所持した土地 95 野中新田に土地を持っていた旗本 | ||
8 大沼田新田の開発 | p56 | |
大岱村と大沼田新田 | ||
96 大沼田新田と廻り田新田の位置関係 97 現在の東村山市恩多町付近 | ||
開発地の買い集め | p57 | |
98 勝楽寺村から弥左衛門への開発地譲渡証文 99 谷保村から半次郎への開発地譲渡証文 | ||
100 開発地譲渡証文一覧 | p58 | |
入村百姓のすがた | ||
101 大沼田新田の入村者 | ||
元文検地と大沼田新田 | p59 | |
102 元文検地帳にみる大沼田新田のすがた 103 大沼田新田百姓の階層構成 | ||
二枚の地割図 | p60~61 | |
104 大沼田新田の地割図(大岱村當麻家に伝来) 105 大沼田新田の地割図(大沼田新田當麻家に伝来)106 大沼田新田の地割図(模式図) 107 大沼田新田の検地野帳 | ||
享保21年3月「(村絵図)」、模式図を表示 | ||
大沼田新田の寺社 | p62 | |
108 泉蔵院寺地の寄進証文 109 泉蔵院 110 稲荷神社(大沼町) | ||
名主の酒造経営 | p63 | |
111 弥左衛門家と酒造 112 弥左衛門家の建屋 113 弥左衛門が抱えていた奉公人 | ||
9 廻り田新田の開発 | p64 | |
廻り田村と廻り田新田 | ||
114 現在の東村山市廻田町付近 115 開発の頃を記録した帳簿 | ||
開発地をめぐって | p65 | |
116 開発地を希望する百姓たち 117 開発地を希望しない百姓たち | ||
開発地の購入と地割 | p66 | |
118 開発主与右衛門からの開発地の購入 119 廻り田新田の地割 120 廻り田新田の地割(模式図) | ||
寛政5年4月「(廻り田新田地割図)」、模式図を表示 | ||
元文検地と廻り田新田 | p67 | |
121 元文検地帳にみる廻り田新田のすがた 122 廻り田新田百姓の階層構成 | ||
入村百姓のすがた | p68 | |
123 入村百姓の記録 124 廻り田新田の入村百姓 125 出百姓の出自と席次についての議定 | ||
126 廻り田新田の村役人 | p69 | |
檀那寺と神社 | ||
127 永源寺(現埼玉県所沢市) 128 三光院(現東大和市) 129 氷川神社 | ||
描かれた廻り田新田 | p70~71 | |
130 文化11年(1814)の絵図 131 文政4年(1821)の絵図132 文政12年(1829)の絵図 133 天保14年(1843)の絵図 | ||
文化11年~天保14年「(廻り田新田村絵図)」を表示 | ||
10 村のしくみと文書 | p72-73 | |
支配と村 | ||
134 江川太郎左衛門役所から出された廻状 135 領主からの通達などを書き留めた御用留 136 郷宿秩父屋から村々への廻状 137 江戸の郡代(代官)屋敷 | ||
年貢上納のしくみ | p74 | |
138 小川村への年貢割付状 139 貢租の賦課・上納と文書 | ||
140 年貢収納のために村内で作成された多種の帳簿 141 伊奈友之助から小川村への年貢皆済目録 | p75 | |
村の規制 | p76 | |
142 小川村の掟 143 大沼田新田の五人組帳 | ||
144 大沼田新田の五人組概念図 | p77 | |
村の人びと | ||
145 村の一人ひとりが記された宗門人別帳 146 大沼田新田に住む人びとの年齢構成 | ||
村の争論 | p78-79 | |
147 文化期の村境争論の経過 148 現在の回り田道 149 村境争論で作成された絵図 150 村境争論で作成された絵図(模式図) 151 争論の解決 | ||
文化10年2月「(小川新田との境出入論所麁絵図)」、模式図を表示 | ||
意思を示す印 | p80 | |
152 代官の印 153 代官手代の印 154 印の形態 155 爪印 | ||
156 印の相続 157 捺印を拒否する百姓 158 村の印 | p81 | |
11 玉川上水とくらし | p82 | |
玉川上水の流れ | ||
159 玉川兄弟の像 160 現在の玉川上水 | ||
161 描かれた近世の玉川上水 | p83 | |
玉川上水からの分水口 | p84 | |
162 小川分水の分水口 | ||
163 武蔵野新田開発と分水口 164 武蔵野新田開発と分水口(模式図) | p85 | |
天保9年10月「(玉川御上水分水絵図面)」、模式図を表示 | ||
分水の流れ | p86 | |
165 玉川上水からの分水路(模式図) | ||
水車をしかける | p87 | |
166 鈴木新田の水車 167 大沼田新田の水車 | ||
年不詳「(鈴木新田付近水車場所絵図)」を表示 天保10年3月「(村絵図)」を表示 | ||
168 水車のすがた 169 火薬製造に用いられた水車 | p88 | |
桜樹を植える | p89 | |
170 名所となった玉川上水堤桜並木(小金井桜) | ||
171 枯れる桜樹 172 桜樹の由緒が刻まれた石碑(海岸寺門前) | p90 | |
船を運行する | p91 | |
173 小川東磻の通船願い 174 通船の実現 | ||
175 船溜りの設置 | p92 | |
176 船のすがた 177 船の購入 | p93 | |
12 鷹場と村 | p94 | |
鷹場の範囲 | ||
178 江戸周辺の鷹場と鷹 | ||
「御鷹の道」 | p95 | |
179 小川村を通る「御鷹の道」 180 野中新田を通る「御鷹の道」 181 現在のたかの街道 | ||
宝永2~正徳3年頃「(小川村絵図)」を表示 | ||
鷹場の管理を担った人びと | p96 | |
182 尾張家の鷹場役人 183 小川村名主弥次郎の鷹場案内役拝命 | ||
184 尾張家鷹場についての書き上げ帳簿 185 尾張家鷹場の杭 | p97 | |
宝暦3年8月頃「鷹場絵図と鑑札の写」を表示 | ||
鷹場の規制と村のくらし | p98 | |
186 鷹場法度 187 鳥獣の追散らし 188 鉄砲の使用と水車操業の許可 | ||
189 尾張家鷹場についての御用留 190 村入用に記された尾張家鷹場に対する負担 | p99 | |
参考文献 協力者・協力機関等 | p100~101 |