解題・説明
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『明治三十九年八月夏期休暇日誌』は、県立酒田高等女学校補習科生の佐藤とし江が夏季休暇の宿題として書いたもの。7月24日から8月31日までの39日間についての日記である。明治38年9月に日露戦争が終結し日本は一躍新進国となったものの、戦死者や戦費は膨大で国や県の財政に莫大な負担を残し危機的な状況に陥った。明治39年の市町村財政にも影響を及ぼし、教育の充実、道路の整備、治水、勧業などの最も基礎的な事業に住民負担を強いるものであったと『酒田市史』にある。8月31日の日記では集金に歩きまわるも不景気とみえて払わない家ばかりだったと書いている。また前年の凶作をうけてか、8月17日には「本年は目出たき豊年なれやとうち祈る」と書いている。明治38年の日記に比べ、簡潔な文体で無邪気さはみられない。非常に裁縫の記述が多いのは、女学校補習科課程の週授業数30のうち半分が裁縫であったためであろう。休暇中2回も家族写真を撮っており裕福な家庭を思わせる一方、8月29日には肥(こえ)を車につけて畑に運んだとあり、お嬢様の生活の意外性に興味を惹かれるものとなっている。
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