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解題・説明
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明治政府は、国営事業として、士族授産のための安積開拓を決定しました。1878(明治11)年より、全国9藩から500戸の旧士族が入植しました。旧小山家は1882(明治15)年、松山から牛庭原へ移住した「愛媛松山開墾」の18戸の中で唯一現存する住宅として、創建当時の姿に復元・保存されているものです。 一行は4月より順次到着し、国は1戸100円の家作補助費を受けて住宅建設にかかりました。『県庁文書』の中に18戸の家屋建築順序の届出の記録、請負人の安積郡・安達郡の大工が届出した完了期日延期願の記録が残っています。工期は2ヶ月足らずでしたが、鳥取開墾に見られるような基本プランの存在は未だ確認できていません。 松山の一般的な民家は四間×六間(しろくのま)、囲炉裏はなく、炊事場も戸外に設けることが多かったようです。これらのことから、小山家が南国仕様であることも考えられます。 当時の愛媛松山藩の下級士族の生活は困窮を極め、安積開拓にかける想いは格別であったはずですが、小さな家での暮らしは、開拓の大変厳しい状況を更に増幅させました。 入植当初の時代背景を探るうえで意味の深い重要な遺構と考えられます。
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