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解題・説明
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本絵図は、寛政3年(1791)4月に、大宮司大内隼人(国当)が寺社奉行所に差し出した神社境内図の控えと推定される。鷲宮神社境内における、①建造物の位置、名称、寸法、屋根の仕様や②大宮司、社家、神楽役、家来などの屋敷地、その坪数などが詳細に記される。 絵図には、鳥居から上町・中町へと続く参道が描かれ、その両脇に社家、神楽役、家来等の屋敷・立家の坪数が記されている。これによれば当時、上町には、大宮司大内氏の屋敷をはじめ、社家4軒、神楽役7軒、家来1軒、百姓家5軒、中町には、社家2軒、百姓家4軒があったことがわかる。上町と中町は堀によって画され、「上町下馬ノ橋」と呼ばれた石橋が掛けられていた。大宮司大内氏の屋敷は3900坪余で、住居の建家205坪、門・長屋50坪 外に土蔵2ヶ所があった。大乗院の地坪は651坪で、寺建坪82坪、門・長屋17坪、外に土蔵1ヶ所があった。脇坊万善寺の地坪は168坪、寺建坪24坪で、当時無住であった。本絵図には、神明社前と寺社域を画する堀は記されていない。 建造物の屋根は、①「鱗葺」として、本社、神崎社、廊下、幣殿、拝殿、釈迦堂、②「茅葺」として、神楽所、神明(社)、御供所、薬師堂、③「板葺」として、若宮・八幡(宮)、香取社、鹿嶋社、妃川社、素戔鳴社、手水場、④「瓦葺」として、瑞籬、神輿(蔵)、小末社十社(相殿)を確認できる。
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