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解題・説明
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本絵図は、近世後期の鷲宮神社境内を描いたものである。作成された年代を記さないが、①元文元年(1736)の成立と推定される「十社相殿」が本社北側に描かれること、②寛保2年(1742)に長州藩毛利家により奉納された寛保治水碑(埼玉県指定史跡)が描かれること、③明和7年(1770)に瓦屋根で再興された瑞籬が描かれること(鷲宮神社文書棟札36)、④寛政3年(1791)の「十社相殿」の屋根が瓦葺であるのに対し(鷲宮神社文書No.630)、本絵図では板葺風に描かれること、⑤文政12年(1829)に本社東側に建立された銅灯籠が描かれていないこと、以上から本絵図は、③から④の時期にかけて、すなわち明和7年(1770)から寛政3年(1791)にかけて作成されたものと推定される。 絵図には東西南北の方位が記され、境内が平面的に描かれている。社域と寺域が、明瞭に区分され、大乗院側の寺域を黄色で塗り分けていることがわかる。また、青毛堀川が意識的に描かれ、境内域を囲む堀が西側南端で青毛堀川に落ち、北側東端の堀は「く」の字状に北側へ折れていることがわかる。 建造物の屋根は、①「鱗葺」として、本殿、神崎社、拝殿、神輿蔵、釈迦堂、②「茅葺」として、神楽殿、鹿嶋大明神、御供所、大乗院、万仙(善)寺、薬師堂、民家、③「板葺」として、簸川大明神、香取大明神、若宮・八幡宮、神明宮、十社相殿(山王社・御室社・軍神社・胸肩社・竈殿社・浅間社・稲荷社・粟明神・武内社・衢神社)、素戔鳴神社、④「瓦葺」として、瑞籬、築地塀、門、と描き分けられていることがわかる。絵図の作成目的は不詳だが、18世紀後半の鷲宮神社境内を色鮮やかに描いた資料である。
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