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解題・説明
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本絵図は、明治36年(1903)の「鷲宮神社境内神園設置願付図」(鷲宮神社文書No.57)と同様、明治33年における上地林(境外地)の境内への正式な編入許可を受け、境内を公園として整備しようとした計画図であると推定される。大正8年(1919)4月に、鷲宮神社奉斎会事業として境内地450坪が運動園として開放されたが、おそらくその際の計画図と推定される。 計画図では、八坂神社北側に池が描かれ、その右側に運動場が見えるが、実際には造営されなかった。「計画者 尾関彦人」については不詳である。
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