北条氏照と町田市域

 織田信長が足利義昭を京都から追放した元亀4(1573)年から豊臣秀吉が小田原北条氏を討伐した天正18(1590)年までが安土桃山時代とされますが、市域は小田原北条氏の一族で八王子城主の北条氏照の領国でした。市域には、数は少ないですが北条氏照の印判状が残されており、戦国大名が百姓の逃散や村の開発にどのように対応したのかなど、領国支配の様子を垣間見ることができます。また、これらの史料から現町田市域が氏照の支配域の南端に位置すると判断されています。

史料
北条氏照朱印状(百姓逃散につき召返し耕作従事の旨)北条氏照朱印状(百姓逃散につき召返し耕作従事の旨)野蔦(野津田)郷における百姓の離村に対して、北条氏照の家臣である藤曲・設楽の両氏から出された文書です。年貢や諸税を1年免除する代わりに、離村した百姓を帰村させ、田地開発と耕作への従事を命じたものです。
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北条氏照朱印状(新堰開鑿願いにつき許可)北条氏照朱印状(新堰開鑿願いにつき許可)野蔦(野津田)郷の堰(せき)が崩れてしまったため、新たに堰をつくりたいという百姓たちの願いを受け、北条氏照の家臣である一雲が出した許可書です。
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