History 時代から調べる
縄文時代
約16000年前から2400年前まで続いた狩猟採集の時代で、土器と弓矢の使用が始まり、定住化が普及しました。縄文時代は、草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の6つの時期に区分されています。
草創期は、まだ最終氷期のなかですが、気温は徐々に温暖化していきます。土器の発明によって煮炊きが可能となり、食糧事情は大きく改善しましたが、移動性が高い生活をしていたため、市域では住居跡は見つかっていません。
早期が始まる約11500年前には最終氷期が終わり、現代と似た温暖な気候となります。市域では日影山遺跡で20軒以上の竪穴住居跡が発見されるなど定住が始まります。
前期は約7000年前から始まり、気候の温暖化によって約6000年前には現在より年間平均気温は2℃高く、海水面も4m上昇し(縄文海進)、東京湾が横浜市緑区付近まで入り込んで町田市域に最も海が近づきました。本町田遺跡はこの時期を代表する集落です。
約5500年前から始まる中期は、縄文時代が最も栄えた時期で、遺跡数が大幅に増加し、人口がピークに達します。中央の広場を囲むように住居が配置された環状集落が発達し、特に151軒の住居跡が発見された忠生遺跡A地区1地点は関東を代表する大集落として知られています。土器では勝坂式土器に代表されるように立体的な装飾が発達し、土偶、石棒など祭祀に関するものも多くつくられました。中期の終わりごろには床面に石を敷いた敷石住居が出現します。
後期が始まる約4400年前から気候が寒冷化し、その影響などから遺跡数が減少し、集落の規模も小さくなります。集団墓地やストーンサークルなど祭祀に関連する遺構が多くつくられ、異形台付土器のように特殊な用途の土器も出現します。
約3200〜2400年前の晩期は、関東地方ではさらに遺跡数が減少するなかで、なすな原遺跡からは15軒の住居からなる集落が発見されました。遺跡からは関東をはじめ東北、北陸、東海、中部など全国各地の土器が発見され、周辺における文化・物流の中心的なムラであったと考えられます。
年表
年 | 年代 | 日本における出来事 | 町田市における出来事 | |
---|---|---|---|---|
16000年前 | 縄文 |
|
| |
15000年前 | ||||
14000年前 |
| |||
13000年前 | ||||
12000年前 |
| |||
11000年前 | ||||
10000年前 |
| |||
9000年前 |
| |||
8000年前 | ||||
7000年前 | ||||
6000年前 |
| |||
5000年前 |
|
| ||
4000年前 |
|
| ||
3000年前 |
|
|
遺跡一覧
草創期
川島谷遺跡群 | 解説 | |
なすな原遺跡No.2地区 | 解説 | |
三矢田遺跡 | 解説 |
早期
金井・関山遺跡群 | 解説 | |
田中谷戸遺跡 | 解説 | |
多摩ニュータウンNo.200遺跡 | 解説 | |
戸場遺跡 | 解説 | |
成瀬西第Ⅱ遺跡 | 解説 | |
日影山遺跡 | 解説 | |
藤の台遺跡 | 解説 |
前期
川島谷遺跡群 | 解説 | |
なすな原遺跡No.2地区 | 解説 | |
本町田遺跡群A地点 | 解説 | |
三矢田遺跡 | 解説 |
中期
相原坂下遺跡 | 解説 | |
小野路富士塚遺跡 | 解説 | |
金森遺跡 | 解説 | |
木曽遺跡群 | 解説 | |
木曽中学校遺跡 | 解説 | |
木曽森野遺跡 | 解説 | |
木曽森野南遺跡 | 解説 | |
高ヶ坂石器時代遺跡 | 解説 | |
高ヶ坂南遺跡 | 解説 | |
忠生遺跡A地区1地点 | 解説 | |
忠生遺跡B地区 | 解説 | |
忠生遺跡D地区 | 解説 | |
田端東遺跡 | 解説 | |
多摩ニュータウンNo.245遺跡 | 解説 | |
多摩ニュータウンNo.248遺跡 | 解説 | |
鶴川遺跡J地点 | 解説 | |
藤の台遺跡 | 解説 | |
平和台遺跡群 | 解説 | |
御嶽堂遺跡 | 解説 |
後期
田端環状積石遺構 | 解説 | |
田端東遺跡 | 解説 | |
多摩ニュータウンNo.194遺跡 | 解説 | |
鶴川遺跡M地点 | 解説 | |
東雲寺上遺跡 | 解説 | |
なすな原遺跡No.1地区 | 解説 | |
野津田上の原遺跡 | 解説 | |
原東遺跡 | 解説 | |
向遺跡 | 解説 |
晩期
なすな原遺跡No.1地区 | 解説 |