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弥生時代
水田稲作と金属器の使用が始まった弥生時代は、九州北部において紀元前10世紀後半から始まりますが、その開始時期は日本各地で差があります。ここでは早期を紀元前6~5世紀まで、前期を紀元前3世紀まで、中期を紀元前後まで、後期を紀元後1~2世紀まで、終末期を3世紀までと時期を区分します。関東地方では紀元前5世紀ごろからコメ、アワなどを乾燥した台地上で栽培する農耕が見られ、紀元前2世紀には本格的な水田稲作を開始したと考えられます。
市域では前期の住居跡はまだ発見されておらず、埋葬後に骨だけを掘り出して土器に納め、再び埋めた「土器埋納土坑(再葬墓)」が綾部原遺跡などから見つかっています。
中期後半の紀元前1世紀頃になると遺跡数が急増し、本町田、椙山神社北、高ヶ坂丸山、多摩ニュータウンNo.938・No.939遺跡などがこの時期の代表的な集落です。鶴見川の中・下流では、集落を濠で囲んだ環濠集落が多く出現し、東雲寺上遺跡からも濠をもつ集落が発見されました。鶴見川流域では大規模な人口の流入によって下流から開発が進み、やがて最も上流の町田市域にも集落がつくられるようになりました。また、この時代の遺物では東海地方の影響を受けた宮ノ台式土器が主体ですが、椙山神社北遺跡から中部地方系の小型台付甕が出土するなど多方面から人口の流入があったと推定されます。土器の形状では穀物の貯蔵に適した壺形土器が多くなり、金属器を模倣した磨製石鏃、大陸系の磨製石斧、鉄刀の一部などの金属器が登場します。遺構では古墳の祖型と考えられる方形周溝墓が造られるようになります。
後期になると遺跡は激減し、鶴川遺跡L地点、多摩ニュータウンNo.920、山崎西遺跡などで数軒の住居跡が発見されましたが、人口は大幅に減少したと考えられます。
年表
年 | 年代 | 日本における出来事 | 町田市における出来事 | |
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紀元前500 | 弥生 |
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紀元前400 | ||||
紀元前300 | ||||
紀元前200 |
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紀元前100 |
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0 | ||||
57 |
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100 |
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150 |
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239 |
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250 |
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