町田市/町田デジタルミュージアム

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鎌倉時代

平安時代末に栄華を極めた平氏は、文治元(1185)年、壇ノ浦の戦いで源氏によって滅ぼされました。同年、源頼朝は朝廷から全国に守護と地頭を置くことを認められ、建久3(1192)年には征夷大将軍に任命されて鎌倉幕府が成立し、鎌倉時代が始まります。13世紀初めに源氏の将軍が三代で途絶える一方、北条氏が台頭し、執権として幕府を主導する体制が確立します。承久2(1221)年、承久の乱で朝廷に圧勝した幕府は、全国に影響が及ぶようになりました。しかし、13世紀後半に中国の元が2度にわたって日本を侵攻した元寇の後、北条氏に権力が集中したため、他の武士に不満が広がりました。そのような中、後醍醐天皇の呼びかけに応じた足利尊氏・新田義貞らにより、元弘3(1333)年に鎌倉幕府は滅ぼされました。

武蔵国は、承元4(1210)年に二代執権北条義時の弟、時房が武蔵守となって、北条氏が支配するようになりました。町田市域では平安時代末から現在の大泉寺(下小山田町)付近を中心に小山田氏が広く市域を支配していましたが、元久2(1205)年、同じ秩父平氏の一族である畠山重忠の乱に関連して衰退しました。また、市域北西の相原、小山地域は八王子市を本拠とする横山党の勢力下でしたが、建暦3(1213)年、和田合戦で和田義盛に味方して敗れ、没落しました。武蔵国の有力御家人を排除することで北条氏の支配はより強固になったと考えられます。

鎌倉時代にはいわゆる鎌倉街道と呼ばれる道路網が整備されました。市域には上道というルートが通っていたと推定され、古道の面影が残っている七国山付近は市の旧跡「伝鎌倉井戸(鎌倉古道推定地)」として指定されています。また、綾部原遺跡第Ⅰ地点から13~14世紀代の遺構群
掘立柱建物跡・井戸跡など)が発見されました。

年表

年代日本における出来事町田市における出来事
1192鎌倉
  • 源頼朝が征夷大将軍となる
1200
1221
  • 承久の乱が起こる
1232
  • 御成敗式目が制定される
1250
1274
  • 文永の役が起こる
1281
  • 弘安の役が起こる
1300
1333
  • 鎌倉幕府が滅亡する
  • 新田義貞が鎌倉攻めの際、市域を通過したと考えられる

遺跡一覧

綾部原遺跡第Ⅰ・Ⅱ地点解説地図
小山田1号遺跡解説地図