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室町時代
鎌倉幕府の滅亡後、後醍醐天皇による「建武の親政」が始まりますが、これまでの慣習を無視した政策は武士の不満と社会の混乱を引き起こしました。後醍醐天皇に反旗をひるがえした足利尊氏は建武3(1336)年に光明天皇を擁して北朝を立て、暦応元(1338)年には征夷大将軍に任じられて室町幕府を開き、室町時代が始まります。一方、吉野へ逃れた後醍醐天皇は南朝を立てて動乱の時期となりますが、明徳3(1392)年、三代将軍足利義満によって南北朝が統一されます。室町時代の後半は応仁の乱(1467~1478年)に始まる戦国時代となり、元亀4(1573)年、織田信長によって最後の将軍足利義昭が京都から追放され、室町幕府は消滅します。
関東では足利尊氏の子、基氏を鎌倉公方とし、上杉氏を関東管領として補佐させ、関東から東北を支配する鎌倉府が設置されました。しかし、歴代の鎌倉公方は京都の将軍と対立する傾向が強く、上杉氏内部の争いもあり、15世紀前半から戦乱の時代となります。16世紀初めには伊豆の北条氏が関東へ進出し、中頃には武蔵国の支配を確立しました。
町田市域では、建武2(1335)年、鎌倉幕府の再興を目指す北条時行が鎌倉へ進軍する途中で、足利尊氏の弟、直義と戦った井手の沢の戦いは、本町田の菅原神社周辺と伝わっています(東京都指定旧跡井出の沢古戦場)。建武3(1336)年、湊川の戦いで小山田氏の末裔とされる小山田高家が新田義貞の身代わりとなって討死しますが、明治21(1889)年、旧上小山田村などが合併したときに忠臣の出身地として忠生村と名づけられました。また、小山田1号遺跡(東京都指定史跡)や綾部原遺跡第Ⅱ地点からは15~16世紀の武士の館跡と推定されるものが発見されました。9万枚に及ぶ大量の銅銭が発見された能ヶ谷出土銭(市指定有形文化財)は、15世紀前半においてすでに貨幣経済が市域に広く浸透したことを物語ります。