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安土桃山時代
応仁の乱以降、約100年に及ぶ戦国時代は、永禄11(1568)年、足利義昭を奉じて織田信長が上洛して以降、全国統一が進められます。織田信長は元亀4(1573)年に足利義昭を京都から追放しましたが、天正10(1582)年、本能寺の変で明智光秀に背かれて横死しました。信長の後継者となった豊臣秀吉は、天正13(1585)年、関白に任じられ、四国、九州を平定後、天正18(1590)年に小田原攻め、奥州仕置を行って関東、東北を平定して全国を統一しました。織田信長、豊臣秀吉が中央政権を担っていた時期を安土桃山時代といいます。
戦国時代から安土桃山時代にかけて町田市域は小田原北条氏の領国で、16世紀中頃以降、有力な一族である北条氏照が現在の八王子市にある滝山城、八王子城を拠点に支配しました。市内には、永禄・天正年間の氏照による印判状が伝わっています。野津田町の河井家には、野蔦(野津田)郷から逃げた百姓への対応や水田へ水を引くために堰(せき)の設置を許可したものが残っており、氏照の領国支配の状況をうかがうことができます。また、広袴町の吉川家には、広袴郷の領民に対して馬とともに三輪へ参集し、城米を江の島まで運搬することを命じたものが残っています。三輪における参集先は沢山城跡が想定され、『町田市史』の編さんに伴って1971年に発掘調査がされたときに大量の焼米が確認され、印判状の内容を裏付けることになりました。天正18(1590)年、北条氏は豊臣秀吉による小田原攻めで滅亡し、北条氏の領国は徳川家康に与えられました。家康は江戸城に入城し、町田市域は代官や旗本の支配下に置かれました。