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江戸時代
江戸時代以前、地域の枠組みはあいまいでしたが、太閤検地をきっかけに、村域を確定する「村切り」がおこなわれ、江戸時代の村が誕生します。町田市域には27の村があり、村びとは農業を中心とした生活を送っていました。江戸時代は、兵農分離によって、基本的に支配層である武士は都市に居住したため、村に支配層はいませんでした。そのため、村は地域の有力者が名主をはじめとした村役人を務め、年貢の納入や人馬負担などの責任を負い、村を運営していました。
天正18(1590)年、徳川家康が領地替えによって関東地方へ入部し、その後、幕府が開かれると市域の多くの村は幕府領となりました。元禄の地方直しによって、これまで給料を支給されていた旗本に知行地が与えらました。そのため、18世紀初めには市域のほとんどの村が旗本領となるとともに、一村が複数の旗本領となる相給(あいきゅう)村も増え、支配が複雑化しました。
18世紀前半の享保改革以降、市域の村むらでは、商品作物生産や山林を利用した薪や炭の販売、養蚕や醸造業などの産業も増え、経済力を蓄える人びとが現れました。こうした経済力の向上により、寺社参詣や物見遊山による旅が盛んになったり、俳諧や書画をはじめとした風雅な文化も拡大し、村の文化水準は高まりました。
また、日本橋からほぼ10里(約40km)圏内にあった町田市域の村むらは、幕府領や旗本領が多く、幕府のお膝元として、他の地域より大きな規制や負担を強いられることもありました。一方で、領主の御用や訴訟などで頻繁に訪れた江戸での見聞や経験は、村での生活にも大きな影響を与えたと考えられます。