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大正~昭和初期
大正時代は、日露戦争後の不況から立ち直りつつあるなかで始まり、1914(大正3)年から起こった第一次世界大戦によって好景気を迎えます。そのような状況下で、立憲政友会の影響が大きい町田市域では、村野常右衛門が長きにわたって代議士に選出されてきました。その間、第二次大隈内閣の内務大臣、大浦兼武を選挙における買収(大浦事件)で告発し、村野は至誠の政治家としての名声を得ます。
小学校では、校外教育や児童に自由な表現をさせる教育法が試みられる機会が散見されます。就学率も格段に向上し、卒業後に村内の夜学会・講習会で学ぶ人、進学のために上京する人も増えました。その影響で、文芸などの文化運動に熱心な青年たちの活動も目立つようになります。
このような自由な社会風土が広まる一方、地方改良運動の影響で青年会・青年団や大正期に組織される碓氷社甲寅組などの産業組合などでは、公共性・公徳心を重視する考え方も社会を覆っていました。
第一次大戦の戦後景気は長くは続かず、経済が傾いてきた1923(大正12)年、関東大震災が起きます。市域でも経済は混乱し、製糸所が倒壊した碓氷社は経営再建ができずに破綻します。さらに昭和初年の金融恐慌にはじまる昭和恐慌が追い打ちをかけました。一方、政治の世界では、村野常右衛門の告発によりおきた大浦事件は、結果として政党間の泥仕合を誘発してしまい、昭和初期の政党不信へとつながりました。
1927(昭和2)年に開通した小田原急行は町田市域にとって大きな転機となりました。以後、市域内外に弾薬貯蔵庫、陸軍士官学校、相模陸軍造兵廠や戦車道路などの軍事施設が建設され、原町田周辺は軍都の様相を呈し始めます。そして戦争が本格化するなかで、多くの人が召集され出征する一方、市域の上空にもB29が現れ、空襲や墜落による被害がありました。
年表
年 | 年代 | 日本における出来事 | 町田市における出来事 | |
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大正1 | 1912 | 大正 |
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大正2 | 1913 |
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大正3 | 1914 |
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大正4 | 1915 |
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大正5 | 1916 |
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大正6 | 1917 |
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大正7 | 1918 |
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大正8 | 1919 |
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大正9 | 1920 |
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大正10 | 1921 |
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大正11 | 1922 |
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大正12 | 1923 |
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大正13 | 1924 |
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大正14 | 1925 |
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大正15 昭和1 | 1926 | 昭和 |
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昭和2 | 1927 |
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昭和3 | 1928 |
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昭和4 | 1929 |
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昭和5 | 1930 |
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昭和6 | 1931 |
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昭和7 | 1932 |
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昭和8 | 1933 |
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昭和9 | 1934 |
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昭和10 | 1935 |
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昭和11 | 1936 |
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昭和12 | 1937 |
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昭和13 | 1938 |
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昭和14 | 1939 |
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昭和15 | 1940 |
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昭和16 | 1941 |
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昭和17 | 1942 |
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昭和18 | 1943 |
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昭和19 | 1944 |
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昭和20 | 1945 |
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