解題・説明
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①②③昭和十三年の六月末から七月にかけて、長雨と台風で県下に大水害があった。水戸でも五百ミリ近い降雨量を示し、那珂川のはんらんは、水戸の台地から勝田の台地までの間の水田地帯を巨大な湖水と化した。さらに八月末からの豪雨によって、九月一日に寿橋と千歳橋が流失、水府橋と水郡線鉄橋を残し木橋は全部流失した。いっぽう、千波湖もはんらんし、市の低地はすべて水没し、特に下市の被害は甚大だった。おりしも日中戦争の拡大により軍隊への召集が引き続いていた時期で、水戸の応召者の中には水をくぐったわが家を見捨てて、洪水の中を兵営に向かった者も少なくなかった。
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