解題・説明
|
①②④大正から昭和の初年ころまでは映画を活動写真、略して活動、映画館を活動写真館または活動館といった。そして、その活動をそれまでの巡回でなく場所を決めて常時上映するようにしたところが活動常設館だった。水戸市で最初の常設館は泉館。勧工場水戸館の跡(現在の水戸京成百貨店東端部分)に大正四年一月に開館した。その後大正五年に川又書店前に美都里館、大正九年に大工町広小路北側に偕楽館が建って、泉町から大工町までの五、六百メートルの間で三館が互いに客寄せを競った。泉館は西洋劇(洋画)の連続大活劇ものと旧劇(時代劇)の目玉の松ちゃんこと尾上松之助が人気を集めたが、大正十五年末に廃館した。写真は大正末の日曜日。外出で活動を楽しみに来た兵士たちである。美都里館と偕楽館は松竹や日活の作品を主として上映し、洋画も併映した。昭和初期「モロッコ」や「巴里の屋根の下」などのトーキー映画の登場に始まる外国映画全盛時代には、学生や一般のファンを集めて映画館全盛の波に乗った。しかし昭和十二年からの戦時に入ると、次第に加わる制約の中で苦しい上映を続け、二十年八月の水戸空襲で両館とも焼失、ついに再建されずに終わった。
|