解題・説明
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⑤⑥⑦昭和六十三年末、七十ミリ映画館の京王グランドの閉館で、水戸の街から大型映画館が消えた。映画界のこのような現況など思いもよらなかった戦災直後、まだバラックもちらほらというころ、泉町三丁目に平和館が建ち、まもなく旧仲町に河原田会館が開場し、これが後のオデオン座となった。それから、旧黒羽根町にはセントラル劇場ができて「我が道を往く」「オーケストラの少女」「心の旅路」などの名作を上映し、南町二丁目にムツミも開場した。こうした戦後の相次ぐ映画館の開館は、娯楽に飢えた市民の渇望をいやすに十分だった。その後天王町に水戸松竹劇場ができたが、まもなく水戸に進出したシバタ興業が同館とセントラル、銀座映画、オデオン、水戸大映などを経営した。これらは京王電鉄興業部の水戸進出で、すべて京王の傘下に入り、水戸松竹のあとに京王グランドが新築開館した。京王グランドは以来多年にわたり、銀杏坂の水戸東映とともに水戸の映画上映の中心をなした。
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