名称
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高麗虎狩図屏風
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タイトル(カナ)
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タイトル(ローマ字)
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タイトル関連
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タイトル関連(カナ)
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タイトル関連(ローマ字)
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欧文タイトル
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タイトルに関する注記
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作者
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伝永井慶竺
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作成者(カナ)
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作成者(ローマ字)
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宛先
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宛先(カナ)
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宛先(ローマ字)
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製作者
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製作者(カナ)
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製作者(ローマ字)
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製作年
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製作年終
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員数
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1隻(6曲1双のうち)
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品質・形状
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紙本着色 屏風装
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法量
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縦158.0×横 第1扇55.2cm 第2扇61.7cm 第3扇61.7cm 第4扇61.7cm 第5扇61.7cm 第6扇55.2cm
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大きさ(縦)
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大きさ(横)
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大きさ(高さ)
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材質
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形態に関する注記
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保存状況
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収録時間
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縮尺
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落款・印章・箱書など
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画中墨書あり(向かって右より第三扇上方上段)(同下段)(第二、三、四扇)
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言語
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ISBN
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ISSN
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主題
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主題(カナ)
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主題(ローマ字)
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関連する地域・場所
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関連する地域・場所(カナ)
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関連する地域・場所(ローマ字)
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関連する人物・団体
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関連する人物・団体(カナ)
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関連する人物・団体(ローマ字)
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時代
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江戸時代
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時代終
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内容細目
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内容細目(カナ)
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内容細目(ローマ字)
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解題・説明
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『高麗虎狩図屏風』は、都城島津家伝来の史料のうち、書画を代表する作品です。作者名は記されていませんが、江戸時代初期に活躍した都城出身の絵師・永井慶竺(ながいけいじく)の作であると伝えられています。 天正20年(1592)4月、豊臣秀吉の命により朝鮮へ上陸した日本軍は、王都・漢城まで占領しましたが、その後朝鮮軍の反撃と明軍の救援により、休戦しました。慶長2年(1597)には再度出軍したものの、翌年8月に秀吉が死去したため撤退しました。これが文禄・慶長の役です。この戦いに、島津家は島津義弘・久保父子を将として出軍させましたが、太閤検地等の豊臣政策による混乱の中にあったため、「日本一の遅陣」を演じてしまうこととなりました。 この屏風は、文禄3年(1594)冬、秀吉の強い要望により虎狩実施の命が各大名へ発せられたことから、島津家が4月に昌原(チャンウォン)で行った虎狩の様子を描いたものです。
左隻では、中段と下段に虎狩、上段に捕獲後屋敷へ向かう様子が描かれています。 この屏風とほぼ同じ図様で絵巻物に仕立てられている作品が2件確認されています(九州国立博物館及び鹿児島県歴史・美術センター黎明館所蔵)。 屏風形式と巻子形式のどちらが先に成立したのかは不明ですが、人物の姿態表現の的確さや丁寧な描画法、描かれた鉄砲が全て薩摩筒の特徴を正確に示しているなど、写しにみられる絵のくずれが見られないことから、初発の作品である可能性が感じられます。
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解題・説明(英語)
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来歴
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来歴(英語)
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所蔵機関
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都城島津邸
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原資料の所在地
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資料番号
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ID
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p0001
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カテゴリ区分
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-
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資料種別
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資料分類(大分類)
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都城島津家伝来史料
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資料分類(中分類)
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資料分類(小分類)
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文化財情報
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manifest.jsonへのURL
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https://adeac.jp/viewitem/miyakonojo-city-shimazutei/viewer/iiif/v2024-22/manifest.json
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参照データ
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関連ページURL
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関連画像URL
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自治体史掲載
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出版物・関連資料
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翻訳元の言語
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権利関係・利用条件
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独自規定あり
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原資料の利用条件
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