概要・解説
明治末年、師である保井抱中(宮内省御用職)が、皇居桐之間桐花蒔絵大書棚の製作を拝命した。それに伴い、弟子である吉田包春は家族を伴って東京に引っ越し、保井抱中の作業を助けることを決めた。その包春の強い決意に敬意を表して、京都や奈良の帝室博物館館長を勤めた久保田鼎(くぼたかなえ)、貴族院議員であり奈良帝室博物館学芸委員を勤めた中村雅真、奈良の豪商であった関藤次郎(せきとうじろう)、そして包春の兄である吉田立斎(1867-1935)、北村久斎( 1875-1959)らが大正2(1913)年2月5日に宴を催した。その際に久保田鼎、中村雅真、関藤次郎の三名が賛辞を送ったことをそれぞれが記した書である。