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解題・説明
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雑誌『戦時画報』第52号(臨時増刊:捕虜写真帖)より。明治38年(1905)4月末~5月撮影と推測される。「捕虜各自が収容所広庭に於て松根の瘤にて木球を作り、玉転しをなしつゝある所」。習志野俘虜収容所は、明治38年(1905)3月、現在の東習志野一丁目から五丁目にかけての広大な範囲に開設された、日露戦争で捕虜になったロシア兵の収容施設。収容人数は約1万5千人、ほとんどが下士官以下の兵卒で将校はいなかった。日露の講和により捕虜のロシアへの送還が始まり、収容所は明治39年(1906)1月に閉鎖された。
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