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解題・説明
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明治39年(1906)の年賀状として使用された絵葉書。キャブションがロシア語のため、収容所内の酒保で捕虜にも販売された可能性がある。収容所内の教会堂において、捕虜同士で行われた読み書きの授業風景であろう。奥に祭壇が見える。習志野俘虜収容所は、明治38年(1905)3月、現在の東習志野一丁目から五丁目にかけての広大な範囲に解説された、日露戦争で捕虜になったロシア兵の収容施設。収容人数は約1万5千人、ほとんどが下士官以下の兵卒で将校はいなかった。日露の講和により捕虜のロシアへの送還が始まり、収容所は明治39年1月に閉鎖された。「Школа」は「学校」、「въ」は「~で」、「НАРАСИНО」は「習志野」を意味すると考えられる。「нріютѢ」は「пріютѢ」の誤植であろう。「пріютѢ」は「隠れ家、避難所」という意味。収容所内の教会堂において、捕虜同士で行われた読み書きの授業風景であろう。奥に祭壇が見える。
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