解題・説明
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明治38年(1905)12月3日撮影。習志野俘虜収容所は、明治38年3月、現在の東習志野一丁目から五丁目にかけての広大な範囲に開設された、日露戦争で捕虜になったロシア兵の収容施設。収容人数は約1万5千人、ほとんどが下士官以下の兵卒で将校はいなかった。日露の講和により捕虜のロシアへの送還が始まり、収容所は明治39年(1906)1月に閉鎖された。収容所は第一区~第三区及び病院の区画の4区画に分けられていた。いわゆるスラブ系ロシア人が第一・三区、ポーランド人・ユダヤ人・タタール人・フィンランド人などが第二区に収容された。第二区には本部・パン焼き場・縫靴工場もあった。この写真は退色が著しいため、画像ソフトで色調整をしている。
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