仁賀保氏(にかほし)って?にかほ市と関係(かんけい)がありそうだっぺん。
今のにかほ市は昔、仁賀保(にかほ) 郷 ( ごう ) と呼ばれていて、そこを中心(ちゅうしん)に 支配 ( しはい ) していた 領主 ( りょうしゅ ) を仁賀保氏(にかほし)というんだ。いまでも子孫(しそん)が残(のこ)っているんだよ。 「仁賀保(にかほ)」は地域(ちいき)の名前(なまえ)だったから、にかほ市の名前(なまえ)の元になったともいえるね。
どんな事をした人たちなんだっぺん?
鎌倉時代(かまくらじだい)に先祖(せんぞ)が仁賀保(にかほ) 郷 ( ごう ) を 領有 ( りょうゆう ) してから明治(めいじ)まで支配(しはい)したんだよ。 戦国時代(せんごくじだい)は領主(りょうしゅ)として仁賀保郷(にかほごう)を守まもりぬいて、関ヶ原せきがはらの戦たたかいの後あと、一時的いちじてきに大名だいみょうにもなったんだ。 その子孫(しそん)が 旗本 ( はたもと ) になって、明治(めいじ)まで 平沢 ( ひらさわ ) ・ 院内 ( いんない ) を中心(ちゅうしん)とした地域(ちいき)を支配(しはい)しつづけたんだ。 戊辰戦争 ( ぼしんせんそう ) でも活躍(かつやく)しているんだよ。
彼らが残(のこ)したものは今もにかほ市にあるんだっぺんか?
様々(さまざま)なものが残(のこ)っているけど、忘れられないのは彼らに仕えた齋藤茂助家(さいとうもすけけ)だ。 仁賀保家(にかほけ)に仕えた彼らは齋藤宇一郎(さいとうういちろう)や齋藤憲三(さいとうけんぞう)といった偉人(いじん)を輩出(はいしゅつ)して、にかほ市のみならず、世界(せかい)に影響(えいきょう)を与(あた)えているんだよ。
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