にかほ市/デジタルミュージアム

仁賀保家(にかほけ)江戸時代(えどじだい)どうしていたの?

疑問に思う生徒

仁賀保家(にかほけ)江戸時代(えどじだい)江戸(えど)にいたってはなしだけど、東京とうきょうなにのこっているんだっぺん?

説明する先生の立ち絵

仁賀保家(にかほけ) 領地 ( りょうち ) から 奉公人 ( ほうこうにん ) なんかを 江戸屋敷 ( えどやしき ) ( ) ( ) せていたんだ。 屋号 ( やごう ) の後に「ど( 殿 ( どの ) ( りゃく ) )」がついていたりすると、それに 従事 ( じゅうじ ) していた人の 子孫 ( しそん ) 可能性 ( かのうせい ) が高いね。
その人たちが東京で亡くなると 正山寺 ( しょうさんじ ) (港区みなとく三田みた)というお寺に ( ほうむ ) られたらしい。 正山寺 ( しょうさんじ ) は仁賀保の殿様の 戒名 ( かいみょう ) に由来するお寺で、 院内 ( いんない ) 禅林寺 ( ぜんりんじ ) 末寺 ( まつじ ) だよ。

疑問に思う生徒

その他には?

説明する先生の立ち絵

仁賀保家(にかほけ) 徳川家康 ( とくがわいえやす ) からの 感状 ( かんじょう ) を持つ 武家 ( ぶけ ) 名門 ( めいもん ) であったようで、 徳川綱吉 ( とくがわつなよし ) 側近そっきんになったものもいたよ。
特に仁賀保 金七郎 ( きんしちろう ) という人物じんぶついさましいことで有名ゆうめいで、 屋敷 ( やしき ) に忍び込もうとした 厄病神 ( やくびょうがみ ) をつかまえてお ( ) びの 証文 ( しょうもん ) を書かせたという話が伝わっているんだ。 病気 ( びょうき ) 流行 ( はや ) った時は 厄病除 ( やくびょうよ ) けとしてその 証文 ( しょうもん ) が使われたんだよ。

仁賀保氏(にかほし)って? 仁賀保氏(にかほし)はどこに住んでいたの?