大漁がもたらした「いわし文化」

地引網の伝播と発展

 いすみ市岬町の太東岬から飯岡の刑部岬に広がる雄大な九十九里浜は、江戸時代の中期ころから昭和初期にかけて、鰯の一大漁場としてその名は全国に知られていた。幕末の大漁期には「九十九里大漁節」が歌われるようになり、その様子は「五つとせー いつ来てみてもこの浦は、粕や干鰯で席がない、浜大漁だね」と、漁民のみならず広く歌われた。 続きを読む

万祝(まいわい)

 大漁を祝って網元が祝宴を催し引き出物として漁師に配った祝い着を万祝(まいわい)という。前祝い・舞祝い・間祝いなど目出度く景気のよい字を充てられることもある。その始まりは定かでないが、江戸後期に房総地方で始まったといわれている。
 文様は祝い着のために松竹梅をはじめ、鶴亀、恵比寿・大黒、宝船や生業の鰯・鯛、背には寿・家紋などの文様が派手に描かれる。最盛期には房総沿岸の浦々で紺屋(染物屋)が染めていたといわれる。

半纏

平成23年度特別企画展「いわし文化を知る」パンフレット
白里浜いわし文化顕彰碑