羽田長者ヶ平遺跡は、那須扇状地の扇央部の延長約5kmに位置する縄文時代中期・後期を中心とした大規模な集落跡です。この台地上は、かつて大規模な畑地であり、多数の土器片が散布し採集できたことから、「昔、長者の屋敷があった」という伝説が生まれ、地名の由来となりました。平成11年(1999)の発掘調査により、住居跡2軒、土坑8基が確認されました。そのうち1基の袋状土坑から16点の土器がまとまって出土しました。若干の時間差はあっても同時期に使用され廃棄されたものと考えられ、福島県会津地方を経由して伝わった北陸系の火炎土器、会津の文様要素を取り入れて那須地方で発達した土器(浄法寺類型)、那須でつくられた在地色の強い土器、関東系の土器など、多様な系統の土器がつくられていたことがわかります。これらの土器のうち7点が市指定文化財(考古資料)に指定されており、関東と東北の文化的特徴を併せ持った那須の縄文土器の特徴を色濃く示しています。