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目録ID ku005019
タイトル. 版. 巻次 花を撃つ
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雲の地図
花を撃つ
このままに埋るるもよし家ぐるみひしひし雪に包まれてゆく
藻屑のやうにうち寄せられしわれの目に白く泡だつ波も見えゐき
生き残ることのさびしさかたはらに犬の首輪もうづめてやりぬ
われの名の不意にやさしく呼ばるるをふり返り得ず涙ぐみゐて
コートぬぐ瞬間寒し生きものの気配のあらぬ部屋に戻りて
聞く人もあらぬに声を憚りて独りごと言ふ事の区切りに
山深く樹氷を見むと旅立ちし若き二人の目つむれば見ゆ
思ふことみなちりぢりに肩寒くてのひら寒く目ざめてをりぬ
殺さるる悪魔のやうに口をあけ喘ぎゐしわれの醒めてまだゐる
間を詰めて来襲ふ咳に堪へむとしのがるるすべに死を思ひゐつ
時かけて煎じくれたる薬湯の残りの滓ものみくだしたり
春を待つほかなきものを見の限り雑木林はいまだ芽ぶかず
死者に呼ばるるといふこともなく病み古りて冬の苺の切り口青し
病むことはこころまで痩せてゆくことか帰り来て医師を待つ宵々に
注射終へて直ちに帰り行かすとも短き逢ひをかさぬるに似む
夜毎夜毎かよひ来ましぬひとたびは医師のためにも癒えねばならず
白湯といふ母の言葉のよみがへり冷むるを待ちてもろ手にかこむ
何が効き何が効かぬか分き難し人参の酒はうすく濁れる
ヘリコプターの音に醒めつつまなうらに黄味を帯びたる空がひろがる
電話なす時刻はかりて待ちゐるにあとの五分がなかなかたたぬ
かかる日は何してすごさむと問ふ人もあらず朝より小糠雨降る
大束のままを買ひ来しフリージア供華としわれの机にも活く
ともづなのふつつり切れし反動にまかせて経たる月日と思ふ
陸橋を渡らむとして夜更かしをしたる懈さの俄かにきざす
雨やめばまた風となりひとひらの布きれの如し吹かれて帰る
さまざまに窺ひて人は過ぎてゆきゆふべゆふべの空の茜よ
幾時ごろかと思へるのみに眠りゐき向ひの家をたれか呼びゐき
海上も霧深しとぞカーフェリーの欠航を告げてラジオは終る
友だちは裏切るものと本に読めり読みてなぐさむわれと思はず
祝園は山峡の村少女われらの作れる手榴弾など如何になりけむ
おこなひを正して待てと教はりき終戦を見ずに死にし父より
いづこにか死せる家族らあつまりて語らひゐずや訛りあらはに
ふるさとは冬長き国路の上に凍てゐし繩などをりをりに見ゆ
遠き日に見たる夢また見てゐると思ひつつ海へくだりてゆけり
ブザー鳴りて覚めしまなかひいつぱいに三角波のかがよひやまず
守るほかなきひとりのくらし芽キャベツの一つ一つに十字入れつつ
煩はしき仕事が待つを朝戸出に花びらのやうなぼたん雪降る
墨汁をうすめて文字を書く毎に見知らぬ人をもわれは喪ふ
縦横の罫を原紙に引き終へて墓の仕切りのやうなしづけさ
中座して帰り来にしが病む者の驕りのごとく思はれはじむ
誘はれてなし難きことの多き身か妹の亡きあともかはらぬ
石ならばいかなる色か形かと身の頑なをうとむことあり
香焚けばむせつつ病むと気づかずに焚きゐき休みのつづく幾日に
仕事のほかに何が残れる供華の水を替へてみてまた机に向ふ
共に行きてヨークシャにヒース見たしなどと言ひたりき死の幾日前か
熱中しやすきわが性仕事して切れ目切れ目にかなしくぞゐる
ライターを置きて行かしし真意などは測ることなくこよひ眠らむ
わが耳に届くことなし臓深くいまだ鳴るとふ不穏の音は
家族などのふえたるに似て幾人ものわれのゐる夢賑はしからず
愛憎のきざすを癒ゆるあかしとしなほ日も夜も五体たゆたふ
音のして隣の家の夕仕度癒えゆく日々をとりとめもなし
ドア抑へ待ち呉るるなり風強き朝を出で来し甲斐ある如し
勤めを持つゆゑに紛れてゐるわれと帰る身仕度なしつつ思ふ
看過ごして帰り来てより苦しみぬ見たることさへ罪のごとくに
胡椒などの残り少なになりゐるを朝の目ざめに思ふまで癒ゆ
身は残りこころのはやる幾日かエリカはつづるこまかき花を
薄氷の張れるをそのまま出でてゆく日の暮れてから戻る厨べ
亡き人をかなしむゆとりも失ひて幾日病みけむ過ぎつつ思ふ
霜どけになづみ来て供ふる菜の花をひとりのわれをいづくより見る
読みさしの本伏せて来てわが手折る椿の花を待てる女童
一週に一度しか見ぬわが庭に低く芽ぶけり忘れな草は
戸をあけて見るにもあらず何鳥か呼びかはしつつしばらくをゐる
小鳥らのささめきもいつかをさまりて隣の家の影に入る庭
花咲かぬままに若葉のととのへる梅の木のことたれにも言はず
はじめより鳥なりしかば声やみてわが手に残す小さなむくろ
曇りのまま日は暮れむとしジャスミンの香のたつ紅茶いれてもひとり
うすくうすく人参をそぎ胡瓜をそぎいつしかわれのこころ遊べる
日のくれに山椒の若葉摘みに出づ去年は妹が摘みて呉れにき
選り分けて洗ふうづら豆美しき斑を持つ粒のたちまち歪む
亡きあとの月日ながれてわがためにひたすらなりしことの離れず
あわてずに処置なししこと冷酷な仕打ちのやうに思はれてくる
眠れる間も声を求めて醒めてゐる耳といふもの二つ身に持つ
黒真珠の指環はめつつかすかなる装ほひをなすことも久しき
確かむることを怖れてこころ貧し雨に打たるる夜の桜は
会堂を出で来し人ら街灯に影かさねつつ通りを流る
へだたりて従ひゆけば咲き残るユッカは人の背より高し
惜しからぬいのちと思ひ乗りをれば俄かに折れて灯の海に入る
足首の濡れて歩めば不確かな記憶のごとし今日の逢ひさへ
解体の進む駅前かよひつつすさむかと思ふたれのこころも
拒むやうに迎ふるやうに見ゆるドア理由はいつもわが側にある
靴の音遠ざかりゆけり人を撃つことも花を撃つこともわれには出来ぬ
昨日見し瓦礫の山は今朝あらず無意味と思ふ堪へゐることも
紅潮しゆく両の耳背後より見てゐつ何を語れる時か
遠くにて雲雀の声のせることも言はずに歩む何から言はむ
この目にて見たることさへ告げがたし雲は形を崩してゆきぬ
幾たびも誰何せるあと声嗄れのわれをあはれむ遠き電話に
冬中を病みてありしとまた思ふ言ひわけばかりしてすごす日に
突き刺さるパワーシャベルを見て過ぎぬ掬はるるもよし土くれとして
買ひたきもの余さず買ひて帰る日のわれのうつろは人に知られず
縫ひものをなす日も稀にたまひたる蘭の鉢置くミシンの上に
働きてひとり生くるもいつまでかしだれ桜は葉となりてゐる
怠ればたちまち寄するかなしみをくり返しつつ忌の日近づく
暗き灯を残して眠るきはに見ゆそのまま吊しおく冬の服
麦の穂を供華に添ふれど斑鳩の里を行く日もあらず死なしむ
われのみの病みゐる町か午前十時桜まつりの花火があがる