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さいたま市立大宮図書館/おおみやデジタル文学館 ―歌人・大西民子―
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全短歌(10791首)(資料グループ)
青のストール(目録)
/ 11652ページ
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ku035001
タイトル. 版. 巻次
青のストール
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関連目録
歌集現代
青のストール
対岸は何の工場か昼過ぎて壁の曇りの消えざる日あり
ひぐらしの声かぶさりて来るゆふべ人を憚ることにも倦みぬ
さまざまの悪夢のごとき溶かしつつ流るる水に添ひて歩めり
ひなびたる名を羞しめど菊芋の丈高き黄はわが好む花
電線のとぎれて見ゆるまぶしさに別れの言葉いくたびも言ふ
夏草の茂りてかたち変りたる中洲に低くよしきり飛べり
轢かれさうになりたる犬の尾を垂れて急ぐともなく歩み去る見つ
右の耳より左の耳に移りつついづこともなきタムタムの音
しみじみと聞きて別れぬやみがたく立場を守るための言葉も
スクリユーのゆるく廻れる幻覚に揉まれてゐしはたれのむくろか
幾つにもかさなりて見ゆる残月を仰ぐことにも馴れて出でゆく
たひらかな一日を賜へわれのゆくビル見えたれか窓を明けゐる
壁面の不意に近づき目の高さまるき額縁ありて揺れたり
ゆくりなく日の差してをり君子蘭の花失ひて久しき鉢に
いらだちのもとの一つに進みがちな柱時計のことなどあらむ
病院へ行く時間来て幾つもの電話鳴りつぐ部屋よりのがる
鉱石ラヂオのホーンを耳にはめしまま絶えてゐしとふ眠れるごとく
焚きて来し香の匂ひの残りゐて脱ぎしコートを吊るす夜の壁
蝶番の鋲足りぬまま閉ざしおく戸あり目ざめてしばしば思ふ
クローバーのレイ編みし日もはろけきに襟にほくろを秘めゐたる母
花咲けるうちに知りたき木々の名と仰ぎつつ森のほとりをかよふ
朝靄の底より翔つと仰ぐ間に大いなる弧をゑがきぬ鳶は
前をゆく車より洩れわが背筋むしばむやうな裏声の唄
客足の跡絶ゆる待ちて少年の同じところを幾たびも掃く
間をおきてときめき光り稲妻の音なく遠く移ろひゆけり
籠の戸をしきり啄むインコらに魔法の解くる日はいつならむ
われに無き技能の一つ区切りつつ点字読みゐる隣室のこゑ
使ひ方を知らぬ秤の棚にあり何にこだはり朝より思ふ
たのしきことに誘ひ呉るると思はねど朱肉の壺を閉ぢて立ちゆく
かかはりのなきことながら夕まけて地下ガレージのあたり騒がし
どんな火も消されてしまふと棕櫚を打つ雨聞きながら暫らくはゐつ
たまひたるうすべに珊瑚の玉一つ病ひ恐れぬ日の還り来よ
眠りゐる仔犬の耳のふと動きやがて隣りのドアのあく音
モールもて作れる駱駝棚に置きとりとめもなくさすらひゆけり
培ふはただ病ひのみと人の言ふ運命論はみづからも持つ
あぢさゐはうすくれなゐの返り花しづまりかねて出でゆくものを
白鳥座ともに探しし遠き日よ母はすでに盲ひてゐしにあらずや
鱗持つ木と畏れたるかの松も伐られしといふ二十年経ぬ
ふるさとの山家に残る老い一人浮子などを今も集めてゐむか
残されむ一人のために死も難し南天の花ゆさぶりて見つ
どの山の地図ひらきても静脈の色つばらかに川流れたり
楡の葉のそよげる見ゐつその母を失はむとする人のかたはら
日を置きて濁りの去りし湖に下駄は浮き靴は沈めりといふ
硝子切る音も身近かに聞きしより鼓膜の位置の疼くをりふし
水いろの小さき卵わが庭に生みゆける鳥の帰る日ありや
風呂敷に氷塊を包み買へる見つ母などの病む少女ならむか
雨あとの雫をおとす黄櫨の葉も髪に飾らむほどに色づく
木の洞にいつまであらむ翅たたみ押し葉となれる蝶の一枚
年輪のひずみに添ひてにじみゐるそこはかとなき樹脂のくれなゐ
山もとの基地を日照雨の降り過ぐるしづけき朝にゆくりなく遭ふ
教へ子の一人二人と子をなしてわれに見えざるもののまぶしさ
木犀の根づけるさまを見届けて安らぎのふと失意に似たり
砂利に根を張りたる穂草抜きてゐてなしあぐむことの多きを思ふ
庖丁を今日は砥がせて新しき家に慣れゆく妹のさま
日のくれに帰れる犬の身顫ひて遠き沙漠の砂まき散らす
煩はしき光りをまとふ木々となり動かぬ影の何一つなし
脚長き人々の来て道の上何かしきりに踏まれてゆけり
夜の更けの道に諍ふ人のこゑ男の声は低く途切るる
ひとすぢの金属音を曳くごとし翅持つ種子の空を飛びゆく
埋めたての人ら去りゆきパレットのかたちに白く暮れ残る沼
みそかごと語らひゆくにあらねども声ひびきあふ石道となる
茅の穂の風に騒ぎてどの道を抜けても寒き夕ぐれの坂
洗ひたる髪を垂らしていづくにか灰の降る夜を遠く眠りぬ
ゆるやかに移る画面に煙りあがり地平のはての私刑を見しむ
撃たれしは土民の少女羽根あまた髪に飾れるよそほひのまま
いまだ値のつかぬ野菜のかがやきて露もろともに運ばれゆけり
秋の来ていち早く手を荒らす見つ赤き手套を編む内職に
ルーレットとまれる谷によみがへる何あらむ目を閉ぢて待ちつつ
届きたるウイーンの地図をひろげつつ旅ゆく人の手を恋ひゐたり
ゴムの葉など洗ひゐる間にみどり児をすりかへらるる怖れはなきか
榧の実の一日降りしきいち早く冬の保護色となるけものたち
神の使者は何を着て来む風の日も言葉つつしみ人に対へり
一羽のみとなりしインコも目ざめつつママレード煮る香の部屋に満つ
身内には言へぬことあり駅までを伴へる人にも告げず別れぬ
たれの絵の構図ともなく渦なして土管に呑まれゆく泥のさま
魔除けの印を衿に縫ひくれし母は亡し眠られぬ夜の続けば思ふ
いつまでもとろ火に何を煮てゐけむをりをりさびし母の憶ひ出
金柑のやさしき重み手にのせて一粒づつの核を抜きゆく
枯れ枝をぴしぴし折りてくべてゆく仕事にかかる前の工夫ら
坂道は霧ふかくして白樺の材を積みたるトラック行けり
風圧をかいくぐりゆく鷺のさま低き一羽はしげくはばたく
落葉を終れる木立木守りの柿の一顆の重き夜あらむ
歌垣の跡をたづねむもくろみも古りて今年の野分に吹かる
毛糸の玉はやさしく膝へ返りつつ妹に編む青のストール
もの言はぬ亀の夜毎に現はるる夢も恐れぬまでに癒え来ぬ
三面鏡をたたみて出づる朝々の怒りはつねにみづからに向く
サインペンもて次々に書かれゆき姓と名の持つ不思議な調和
例証をあげつつ人のきほふとき音なくわれの下降始まる
偽りの印章を押しし手と思ひ葉巻揉むときつくづくと見つ
軒下の八つ手の花に蜂も来ず窓いっぱいに降りしきる雨
のがれ得ぬ雪崩なりしやふたたびの忌の夜にひびく木枯のこゑ
ステーヂに紙の吹雪の降りしきり老いさらばへし人を歩ます
バスを待つ寒き川べり胸の毛をよごして帰るわが犬に会ふ
ひとり身を照らし出されぬヘッドライトの穂先が棒のごとく伸び来て
凍りたる葱むきをればかつがつに生きて終らむゆく末も見ゆ
雪を見て日すがら臥りゐしといふ何しゐたらむかの日のわれは
出で歩く日の稀にしてよくものを失ふことの今も変らず
色盲のゆゑと知るとも褐色の薔薇いっぱいにあふるる画面
美しき拘束といへる言葉あり妹のルージュ買ひゐて思ふ
音もなく木々に降る雪かの冬より還らぬ人の花かも知れず
針箱を新しき罐に替へておく春のコートを縫はむ日近く
膝かけをわれに編めりといふ便りぬくとき風に吹かるるごとし
人を刺すことなかりしやペン軸の無数の傷を見つつ思へば
藻のごとき木立の影をひき裂きてまた音もなく去る車あり
ミシン踏めばミシンの音にまぎれゆき憎まるるほどのこともなし得ぬ
くさぐさの故売の品に美しき音を満たしゐしごときかの壺
護符の紐を首にかけやる古りし世の母のさま埃及の壁画は見しむ
唱ふれば成ると教はり唱へたる幼き日より信深からず
まどろみの隙間をみたす水ありてただよひゆけりわれのてのひら
鍵盤の白と黒との溶けあふと尽きぬ歎きのいづこより来る
蠟涙の椅子に流れてゐしこともわれを朝より崩さむとする
足もとの石の割れ目を噴き出でて無法に水のひろがりゆけり
春遅き年と思ふにまんさくの花封じよこす故郷の手紙
縫ひものをしをれば時のたつ早し西のガラスの明るみそめぬ
流したる雛の一つの去りやらず眉目なき顔のしろじろとして
草を食む馬などの不意にやさしくてたんぽぽの黄のそよげるを見つ
水の香を嗅ぎつけてはやるわが小犬草萌えしるき丘を越えつつ
太陽のひといろをともすたんぽぽと嗅げばさやかに野生の匂ひ
うとまれてつひに逝かしし人のあり短かく病みて母は死ににき
いくたびも沈みては浮く夢のなか沈みきりたくなりて沈みき
銃声のごとくにわれをつんざきて呼ぶ声のなかにめざめて行きぬ
野の鳥の呼びかはすこゑ美しき羽根をわが身は持つこともなし
屑鉄の山乾きゐて匂はぬを不思議となして河原過ぎゆく
営庭の跡の草むら春たけて軍用犬の塚は小さし
雪の夜の寂しき悔いを今に持ちそよぐ芽ぶきのごとき思ひよ
夜の雨に小さき笛は立ち直りマーガレットの葉のかたち見す
竹を割く音の次第に澄みて来ぬ野鳩のむれの飛びたちしあと
姉妹に小さき雪靴編み呉れき藁の匂ひを嗅げば思ほゆ
ブランデイ蜜に濁してゆすりつつグラスの底にしばし潜まむ
朝がたの眠りに浮きて人と人波のごとくに触れあひゆけり
まざまざと羽音をたてて水鳥のわれはいづこの渚に憩ふ
剥落のはげしき仏画口角のするどく裂けてゐし忘られず
幾たびも背後かすめて何やらむ漆黒の荷を積めるトラック
喪のリボンはづしつつ思ふ生きの日になしがたかりし和解を遂げぬ
日に二度は渡る橋なりトラックをとめて乗る少女見る朝のあり
平坦の草原を来て久しきに登りとなれる道あたたかし
去年の蝶今年の蝶と分きがたくサングラスのなかにいつまでも舞ふ
いかほどのよろこびあらむげんげ田に蜂を放てる顫鳴のなか
川霧のいつしか沈み見馴れたる灯をちりばめて暮れてゆく街
前かがみに見えて危ふき石の像夜学校よりコーラスは湧く
のがれゆく埴輪の馬のまろらなる鈴が音遠く聞きつつ眠る
水桶を頭上に重く捧げゐつ砂塵に眼閉ぢしときの間
雪渓のいづこも寒しなきがらを残さざる死を遂げむと言ひき
笑ひ声の高きことなど母に似るわれと思ひて人と並みゆく
棕櫚の葉の窓をおほひてシユーマンの楽譜たどるに暗き昼すぎ
みがきたるランプともせば玻璃の筒にとざされて細き芯燃ゆるなり
失ふに惜しく残れる何あらむすりぬけてゆく夜の人ごみを
身をよぎるよろこびも今はかすかにて綿雲の浮く空思ひゐつ
わが持てる壺の一つにいつの日かこまかき骨として収まらむ
みづからの問ひも答へもおのづから定まるに似て夜の雨の音
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歌集現代
青のストール
対岸は何の工場か昼過ぎて壁の曇りの消えざる日あり
ひぐらしの声かぶさりて来るゆふべ人を憚ることにも倦みぬ
さまざまの悪夢のごとき溶かしつつ流るる水に添ひて歩めり
ひなびたる名を羞しめど菊芋の丈高き黄はわが好む花
電線のとぎれて見ゆるまぶしさに別れの言葉いくたびも言ふ
夏草の茂りてかたち変りたる中洲に低くよしきり飛べり
轢かれさうになりたる犬の尾を垂れて急ぐともなく歩み去る見つ
右の耳より左の耳に移りつついづこともなきタムタムの音
しみじみと聞きて別れぬやみがたく立場を守るための言葉も
スクリユーのゆるく廻れる幻覚に揉まれてゐしはたれのむくろか
幾つにもかさなりて見ゆる残月を仰ぐことにも馴れて出でゆく
たひらかな一日を賜へわれのゆくビル見えたれか窓を明けゐる
壁面の不意に近づき目の高さまるき額縁ありて揺れたり
ゆくりなく日の差してをり君子蘭の花失ひて久しき鉢に
いらだちのもとの一つに進みがちな柱時計のことなどあらむ
病院へ行く時間来て幾つもの電話鳴りつぐ部屋よりのがる
鉱石ラヂオのホーンを耳にはめしまま絶えてゐしとふ眠れるごとく
焚きて来し香の匂ひの残りゐて脱ぎしコートを吊るす夜の壁
蝶番の鋲足りぬまま閉ざしおく戸あり目ざめてしばしば思ふ
クローバーのレイ編みし日もはろけきに襟にほくろを秘めゐたる母
花咲けるうちに知りたき木々の名と仰ぎつつ森のほとりをかよふ
朝靄の底より翔つと仰ぐ間に大いなる弧をゑがきぬ鳶は
前をゆく車より洩れわが背筋むしばむやうな裏声の唄
客足の跡絶ゆる待ちて少年の同じところを幾たびも掃く
間をおきてときめき光り稲妻の音なく遠く移ろひゆけり
籠の戸をしきり啄むインコらに魔法の解くる日はいつならむ
われに無き技能の一つ区切りつつ点字読みゐる隣室のこゑ
使ひ方を知らぬ秤の棚にあり何にこだはり朝より思ふ
たのしきことに誘ひ呉るると思はねど朱肉の壺を閉ぢて立ちゆく
かかはりのなきことながら夕まけて地下ガレージのあたり騒がし
どんな火も消されてしまふと棕櫚を打つ雨聞きながら暫らくはゐつ
たまひたるうすべに珊瑚の玉一つ病ひ恐れぬ日の還り来よ
眠りゐる仔犬の耳のふと動きやがて隣りのドアのあく音
モールもて作れる駱駝棚に置きとりとめもなくさすらひゆけり
培ふはただ病ひのみと人の言ふ運命論はみづからも持つ
あぢさゐはうすくれなゐの返り花しづまりかねて出でゆくものを
白鳥座ともに探しし遠き日よ母はすでに盲ひてゐしにあらずや
鱗持つ木と畏れたるかの松も伐られしといふ二十年経ぬ
ふるさとの山家に残る老い一人浮子などを今も集めてゐむか
残されむ一人のために死も難し南天の花ゆさぶりて見つ
どの山の地図ひらきても静脈の色つばらかに川流れたり
楡の葉のそよげる見ゐつその母を失はむとする人のかたはら
日を置きて濁りの去りし湖に下駄は浮き靴は沈めりといふ
硝子切る音も身近かに聞きしより鼓膜の位置の疼くをりふし
水いろの小さき卵わが庭に生みゆける鳥の帰る日ありや
風呂敷に氷塊を包み買へる見つ母などの病む少女ならむか
雨あとの雫をおとす黄櫨の葉も髪に飾らむほどに色づく
木の洞にいつまであらむ翅たたみ押し葉となれる蝶の一枚
年輪のひずみに添ひてにじみゐるそこはかとなき樹脂のくれなゐ
山もとの基地を日照雨の降り過ぐるしづけき朝にゆくりなく遭ふ
教へ子の一人二人と子をなしてわれに見えざるもののまぶしさ
木犀の根づけるさまを見届けて安らぎのふと失意に似たり
砂利に根を張りたる穂草抜きてゐてなしあぐむことの多きを思ふ
庖丁を今日は砥がせて新しき家に慣れゆく妹のさま
日のくれに帰れる犬の身顫ひて遠き沙漠の砂まき散らす
煩はしき光りをまとふ木々となり動かぬ影の何一つなし
脚長き人々の来て道の上何かしきりに踏まれてゆけり
夜の更けの道に諍ふ人のこゑ男の声は低く途切るる
ひとすぢの金属音を曳くごとし翅持つ種子の空を飛びゆく
埋めたての人ら去りゆきパレットのかたちに白く暮れ残る沼
みそかごと語らひゆくにあらねども声ひびきあふ石道となる
茅の穂の風に騒ぎてどの道を抜けても寒き夕ぐれの坂
洗ひたる髪を垂らしていづくにか灰の降る夜を遠く眠りぬ
ゆるやかに移る画面に煙りあがり地平のはての私刑を見しむ
撃たれしは土民の少女羽根あまた髪に飾れるよそほひのまま
いまだ値のつかぬ野菜のかがやきて露もろともに運ばれゆけり
秋の来ていち早く手を荒らす見つ赤き手套を編む内職に
ルーレットとまれる谷によみがへる何あらむ目を閉ぢて待ちつつ
届きたるウイーンの地図をひろげつつ旅ゆく人の手を恋ひゐたり
ゴムの葉など洗ひゐる間にみどり児をすりかへらるる怖れはなきか
榧の実の一日降りしきいち早く冬の保護色となるけものたち
神の使者は何を着て来む風の日も言葉つつしみ人に対へり
一羽のみとなりしインコも目ざめつつママレード煮る香の部屋に満つ
身内には言へぬことあり駅までを伴へる人にも告げず別れぬ
たれの絵の構図ともなく渦なして土管に呑まれゆく泥のさま
魔除けの印を衿に縫ひくれし母は亡し眠られぬ夜の続けば思ふ
いつまでもとろ火に何を煮てゐけむをりをりさびし母の憶ひ出
金柑のやさしき重み手にのせて一粒づつの核を抜きゆく
枯れ枝をぴしぴし折りてくべてゆく仕事にかかる前の工夫ら
坂道は霧ふかくして白樺の材を積みたるトラック行けり
風圧をかいくぐりゆく鷺のさま低き一羽はしげくはばたく
落葉を終れる木立木守りの柿の一顆の重き夜あらむ
歌垣の跡をたづねむもくろみも古りて今年の野分に吹かる
毛糸の玉はやさしく膝へ返りつつ妹に編む青のストール
もの言はぬ亀の夜毎に現はるる夢も恐れぬまでに癒え来ぬ
三面鏡をたたみて出づる朝々の怒りはつねにみづからに向く
サインペンもて次々に書かれゆき姓と名の持つ不思議な調和
例証をあげつつ人のきほふとき音なくわれの下降始まる
偽りの印章を押しし手と思ひ葉巻揉むときつくづくと見つ
軒下の八つ手の花に蜂も来ず窓いっぱいに降りしきる雨
のがれ得ぬ雪崩なりしやふたたびの忌の夜にひびく木枯のこゑ
ステーヂに紙の吹雪の降りしきり老いさらばへし人を歩ます
バスを待つ寒き川べり胸の毛をよごして帰るわが犬に会ふ
ひとり身を照らし出されぬヘッドライトの穂先が棒のごとく伸び来て
凍りたる葱むきをればかつがつに生きて終らむゆく末も見ゆ
雪を見て日すがら臥りゐしといふ何しゐたらむかの日のわれは
出で歩く日の稀にしてよくものを失ふことの今も変らず
色盲のゆゑと知るとも褐色の薔薇いっぱいにあふるる画面
美しき拘束といへる言葉あり妹のルージュ買ひゐて思ふ
音もなく木々に降る雪かの冬より還らぬ人の花かも知れず
針箱を新しき罐に替へておく春のコートを縫はむ日近く
膝かけをわれに編めりといふ便りぬくとき風に吹かるるごとし
人を刺すことなかりしやペン軸の無数の傷を見つつ思へば
藻のごとき木立の影をひき裂きてまた音もなく去る車あり
ミシン踏めばミシンの音にまぎれゆき憎まるるほどのこともなし得ぬ
くさぐさの故売の品に美しき音を満たしゐしごときかの壺
護符の紐を首にかけやる古りし世の母のさま埃及の壁画は見しむ
唱ふれば成ると教はり唱へたる幼き日より信深からず
まどろみの隙間をみたす水ありてただよひゆけりわれのてのひら
鍵盤の白と黒との溶けあふと尽きぬ歎きのいづこより来る
蠟涙の椅子に流れてゐしこともわれを朝より崩さむとする
足もとの石の割れ目を噴き出でて無法に水のひろがりゆけり
春遅き年と思ふにまんさくの花封じよこす故郷の手紙
縫ひものをしをれば時のたつ早し西のガラスの明るみそめぬ
流したる雛の一つの去りやらず眉目なき顔のしろじろとして
草を食む馬などの不意にやさしくてたんぽぽの黄のそよげるを見つ
水の香を嗅ぎつけてはやるわが小犬草萌えしるき丘を越えつつ
太陽のひといろをともすたんぽぽと嗅げばさやかに野生の匂ひ
うとまれてつひに逝かしし人のあり短かく病みて母は死ににき
いくたびも沈みては浮く夢のなか沈みきりたくなりて沈みき
銃声のごとくにわれをつんざきて呼ぶ声のなかにめざめて行きぬ
野の鳥の呼びかはすこゑ美しき羽根をわが身は持つこともなし
屑鉄の山乾きゐて匂はぬを不思議となして河原過ぎゆく
営庭の跡の草むら春たけて軍用犬の塚は小さし
雪の夜の寂しき悔いを今に持ちそよぐ芽ぶきのごとき思ひよ
夜の雨に小さき笛は立ち直りマーガレットの葉のかたち見す
竹を割く音の次第に澄みて来ぬ野鳩のむれの飛びたちしあと
姉妹に小さき雪靴編み呉れき藁の匂ひを嗅げば思ほゆ
ブランデイ蜜に濁してゆすりつつグラスの底にしばし潜まむ
朝がたの眠りに浮きて人と人波のごとくに触れあひゆけり
まざまざと羽音をたてて水鳥のわれはいづこの渚に憩ふ
剥落のはげしき仏画口角のするどく裂けてゐし忘られず
幾たびも背後かすめて何やらむ漆黒の荷を積めるトラック
喪のリボンはづしつつ思ふ生きの日になしがたかりし和解を遂げぬ
日に二度は渡る橋なりトラックをとめて乗る少女見る朝のあり
平坦の草原を来て久しきに登りとなれる道あたたかし
去年の蝶今年の蝶と分きがたくサングラスのなかにいつまでも舞ふ
いかほどのよろこびあらむげんげ田に蜂を放てる顫鳴のなか
川霧のいつしか沈み見馴れたる灯をちりばめて暮れてゆく街
前かがみに見えて危ふき石の像夜学校よりコーラスは湧く
のがれゆく埴輪の馬のまろらなる鈴が音遠く聞きつつ眠る
水桶を頭上に重く捧げゐつ砂塵に眼閉ぢしときの間
雪渓のいづこも寒しなきがらを残さざる死を遂げむと言ひき
笑ひ声の高きことなど母に似るわれと思ひて人と並みゆく
棕櫚の葉の窓をおほひてシユーマンの楽譜たどるに暗き昼すぎ
みがきたるランプともせば玻璃の筒にとざされて細き芯燃ゆるなり
失ふに惜しく残れる何あらむすりぬけてゆく夜の人ごみを
身をよぎるよろこびも今はかすかにて綿雲の浮く空思ひゐつ
わが持てる壺の一つにいつの日かこまかき骨として収まらむ
みづからの問ひも答へもおのづから定まるに似て夜の雨の音