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第一編 人物誌
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第一章 黎明期(堺の濫觴より南北朝時代迄)
(六)微妙坊日祐
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【日像の高足】
微妙坊
日祐
は京都
妙顯寺
の開山日像の高足である。永仁四年日像奈良に赴き、宗祖遊學の諸刹を巡禮し、宇治の土豪久弘の家を過ぎつた際、久弘及び其妻深く歸依して後草庵を結んでこれを招請した際、在住數年に及んだ後之を弟子の
日祐
に附與し直行寺と稱した。(龍華年譜)
日祐
は興國六(貞和元)年四月、更らに堺に來つて、【
妙法寺
開山】
妙法寺
(現中之町東三丁)の開山となり、妙法弘通に一身を捧げ、正平十四(延文四)年六月二十五日示寂した。(
妙法寺
記錄)