春慶は其姓氏詳かでない。【堺の漆工】堺の漆工で、後龜山天皇時代の人である。【獨特の髹法】一種の髹法を發見して漆器を製し、世に之を春慶塗と稱した。其製法は先づ礬漿を木地に塗り、木理を埋め、所謂目とめを施した後、能く之を磨き、雌黃或は鐵丹の液を塗抹して着色し、其上に澁を塗布して色止めをなし、其上を剛毛の刷子を以て、荏油少許を混じたる漆液を塗り、能く之を乾燥せしめたもので、【堺春慶】此地に於て製する所のものを堺春慶といふのである。(塗師傳)朝命を奉じて金輪寺形の茶入(寸胴切形)を寫したものを後世春慶金輪寺茶入と稱した。(古今漆工通覽)春慶の前に斯かる髹法がなかつたのではない。奈良東大寺所藏の屛風の襲木は、此春慶塗に類したものであり、又土佐安藝郡の東寺に藏する大般若經の唐櫃も亦之に類するものであるが、而も春慶を以て此髹法の名稱とするのは、製品古來所傳の髹法に勝れてゐるからであらう。(工藝志料卷七、塗師傳)此種の塗物は、後、飛驒及び野代等にて盛んに製出せらるゝに至り、【各地春慶の名稱】遂に飛驒春慶、能代春慶等の名稱を以て呼ばるゝやうになつた。(古今漆工通覽、塗師傳)