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第一編 人物誌
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第二章 全盛期(足利時代より豐臣時代迄)
(一九)細井正成
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細井正成
童名は御陳、通稱を
喜三郞
又は五左衞門と稱した。金兵衞勝久の男、母は成瀨藤左衞門正賴の女、妻は高木喜左衞門の女である。天正十二年二月
德川家康
に仕へ、文祿元年二月下總葛飾郡内に釆地二百石を給せられた。後關ヶ原の役に軍功あり、大和吉野郡内に於て三百石を增加せられた。(寬政重修諸家譜卷第千百三)【
堺政所
職】慶長中
堺政所
職となり、(文化十年手鑑)同十八年十一月二十八日享年四十二歳を以て病歿した。西念寺(現車之町東四丁)に葬り、法號を
道圓
といふ。(寬政重修諸家譜卷第千百三)