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目次
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第一編 人物誌
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第二章 全盛期(足利時代より豐臣時代迄)
(三一)日盛
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日盛
は
慶林院
と號し、承與公讓と稱した。【堺の人】堺の人、尼崎本興寺の
日隆
に隨つて得度し、鏡像院と號し、權大僧都に任ぜられた。資性柔和、學識深遠なるも、衆を領するを厭ひ隱逸したが、【妙蓮寺在住】永正六年京都妙蓮寺の懇請により日應の跡を襲ふた。後幾何ならずして
泉南
に閑居し、十年十月二十七日示化した。遺命して同寺歷住の班に加はらなかつた。(兩山歷譜)