宗俶字は
春林、咄咄齋と號した。俗姓は大江氏、丹後の人である。幼にして同國の玉龍寺に入つて剃髮し、稍々長じて
大德寺の悅溪宗忢、小溪紹怤二師に參し、後徹岫宗九に參究すること三十餘年、遂に印可を付與せられた。(
春林和尚行實)天文十三年四月、
大德寺第九十八世に瑞世した。(紫巖譜略)
後奈良天皇宮中に召して法要を問ひ、【禪師號勅賜】特に
佛通大心禪師の號及び錦繡を賜はつた。【
陽春庵在留】堺
陽春庵に居り既にして歸京せんとしたが、堺の僧俗德を慕ひ、之を留めて止まなかつた。【
禪通寺再興】時に堺
禪通寺席を虛しうしたので、衆の懇請に應じて(
春林和大尚行實、龍寶山大德禪寺世譜)再興の功を遂げた。然も席未だ暖まらざる中に、但馬に徙つて圓通寺に住し、佛殿を修造し、【黃梅院創建】晚年には
大德寺に黃梅院を建てゝ退隱した。(
春林和尚行實)永祿七年十二月二十八日(
春林和尚行實には二十九日に作る)世壽七十七歳を以て示寂した。(
長松山禪通寺年鑑、紫巖譜略、龍寶山大德禪寺世譜)偈に曰ふ「來也咄々、去也咄々、七十七年、咄々咄々」と。(
春林和尚行實)
第十三圖版 春林偈文