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第一編 人物誌
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第二章 全盛期(足利時代より豐臣時代迄)
(四八)信譽洞庫
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信譽
洞庫は
相蓮社
と號した。伊勢の人。京都智恩院の子坊
一心
院稱念に就いて剃髮得度し、禪芳の法を嗣いだ。(淨土傳燈總系譜)【安土問答出座】天正七年五月
安土宗論
の際には洞庫淨土宗方として、聖譽貞安等と共にした。(信長記、宗論記)其際
織田信長
から貞安に與へた、雪の下裂七條袈裟は、貞安より更らに之を洞庫に與へ、現に堺
遍照寺
の什寶となつて居る。(堺史料類纂)【
遍照寺
開山】天正八年
遍照寺
の開山となり、(堺南北寺庵本末開基宗旨改帳)同十四年二月十八日示寂した。(淨土傳燈總系)