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(六八)日比屋了慶

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 【堺の豪族】日比屋了慶は堺の豪族である。日本西教史に、ジャック・ヒンフラ・リョウケイとあるは、卽ち此人である。宣教師ガスパル・ヴィレラが、始めて堺に布教したとき、最初の洗禮を受けたものゝ一人で、深く天主教を信じ、其邸宅を喜捨して天主堂とした。【堺南蠻寺】所謂堺の南蠻寺是れである。恰も西曆千五百九十六年(慶長元年)に起こつた大震災に、京都、伏見、大阪等の被害甚だしく、堺も亦其數に漏れず、西教史には當時了慶の居宅と、其附近に於ける被害の狀況とを載せ、卽ち堺に於ても、ジャック・ヒンフラ・リョウケイと云ふもの久しく天主教を信じ、三十年來其家を諸教師へ貸して天主堂としたが、【震災の際の教徒】此地震の起こつた時には、一家盡く教師の彌撒を勤むる所へ集まり、經文を唱へて夜を明かした。其家は三層であつたが、隣家は盡く壞るゝ中に立つて、少しも破損がなかつたと記されて居る。(日本西教下史)【茶事に通ず】了慶茶湯にも通じて居り、其所持した藤癭立德は、後小島屋道察の有に歸した(堺鑑下)