【堺野遠屋】阿佐井野宗瑞は堺の人、屋號を野遠屋といふ。累世堺に住して權勢あり、(泉州龍山二師遺藁)宗瑞は殊に女科に精しきを以て名あり、阿佐井野婦人醫と稱せられた。(日本醫學史、皇國名醫傳前編)又文學を好み、能く衆に交つた。(泉州龍山二師遺藁)【醫書大全刊行】大永八年明版の醫書大全九册を得て飜刻し之を流布した。(醫書大全)我邦に於て、醫書の刊行は之を以て嚆矢とすと云はれてゐる。【論語集解再刻】又天文二年に論話集解二册を再刻した事は、我邦の古刻史上顯著なる事蹟で、寔に學問の普及に志篤きものといふべきである。又醫書大全は、醫家の至寶とするところで、壽桂の跋文にも、宗瑞明本三寫の誤を訂し、財を捨てゝ之を刊行す、蓋し其志利の爲めにあらずして天下の人を救濟するにあり、陰德の報永く子孫に及ばんと見えてゐる。(醫書大全跋文)論語の板木は今南宗寺に傳はつて居る。南宗論語考異に、此論語跋文の筆者たる、清原宣賢の所藏であつたのを、細川幽齋が之を請ひ受け、更らに幽齋が之を南宗寺へ寄附したとの言ひ傳へを記して居るが、(南宗論語考異)確證はない。【唐三體詩註の刊行】又大永前後に唐三體詩註を刊行し、且つ家塾を開いて經史を教授した阿佐井野宗禎は、其緣族であらう。(唐三體詩註跋文)宗瑞享祿四年五月を以て病歿した。法號を雪庭宗瑞居士といふ。(泉州龍山二師遺藁)