小菅正芳は始め猪右衞門、備後守と稱した。食祿千五百石。(茅溟刺吏鑑)【堺奉行】文化十二年三月目附より堺奉行に轉じ、同六月赴任した。(茅溟刺吏鑑文化十年手鑑)【南宗寺内東照宮社殿の造營】同十三年南宗寺に東照宮社殿の造營あり、四月十七日一般庶民の參拜を許した。(堺御奉行代々記)【墓所】同十一月九日卒去し、妙國寺に葬つた。(茅溟刺吏鑑)墓表に、顯光院殿從五位下前侍從源正芳慈德日清大居士とある。【政武の卒去】是より先き、其子猪右衞門政武看護の爲めに來堺したが、父に先だちて、九月十四日享年三十三歳を以て病歿し、妙國寺に葬つた。(茅溟刺吏鑑)