伊藤信美字は甫住、善左衞門と稱した。【父は阿波侯の世臣】阿波の人坪内莊太兵衞定豐の五子、元文二年九月出生した。坪内氏は阿波矦の世臣で、延享年中定豐大阪阿波藩邸の留守居となるに當り共に來阪し、明和六年堺奉行所與力伊藤貞信に子養せられることゝなつた。【人と爲り】人と爲り、外直内慧、儉素自ら奉じ、溫和にして人と爭はず、職を奉ずること周密廉清、在職三十年一日の如く、鄕民の悅服するところとなつた。【兵學武術に長ず】信美亦兵學を講じ、且つ弓馬、劒槍の武技にも通じた。寬政八年十一月十七日享年六十歳を以て歿し、【墓所】妙國寺先兆の次に葬り、法諱を皆成院信美日變居士といふ。長子信就其家を嗣いだ。(墓誌)