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(三〇)中田喜典

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 中田喜典東皐と號した。其先は江戸の人、堺奉行所の同心となつて既に四世を經た。【武技と吏才】人と爲り強直、武技に長じ、且つ吏才があつた。奉行用ふべきを知り、重職に就かしめた。【墓所】寬政十一年享年五十九歳を以て歿し、妙光寺の兆域に葬つた。法號を微妙院宣淨日法靈位といふ。季子喜昌其家を嗣いだ。(墓誌)