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(六四)大譽珂山

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 【堺人駒氏】大譽珂山は松蓮山大譽と稱し、頑魯と號した。(淨土傳燈總系譜)姓は駒氏、堺の人、幼にして智善寺(智禪寺か)に出家し、(淨土列祖傳卷之四)東下して下總千葉郡生實の大嚴寺に修學した。(淨土傳燈總系譜)後江戸靈嚴寺の靈岩に師事し、重ねて法流を嗣いだ。天性穎敏であつたが、學資乏しく江ノ島辨財天に參詣して祈願したこともあつた。【法門の獅子】始め靈嚴は三項の難問を擧げて大譽の才識を試みたが、悉く之に答へ、是より法門の獅象と呼ばるゝに至つた。(淨土列祖傳卷之四)【靈岸寺二世】靈岩穎才を愛し、靈岸寺を繼がしめて、第二世とした。適々囘祿の災に遭ひ、寺を深川に移し、寬文十一年九月五日示寂した。(淨土傳燈總系譜)