ビューア該当ページ

(八三)鶴洲宗壽

251 ~ 251 / 897ページ
 【大德寺出世】宗壽、字は鶴洲、堺の人、法を大心義統に嗣ぎ、享保四年四月大德寺第三百世に出世した。【堺一法院住職】勝幡の三世で、堺一法院の住職を兼ねた。(紫巖譜略)一法院は中之町淨土宗の生善寺と、同宗の寶樹寺との間に介在した寺院である。(堺寺院所書)同九年八月東海寺の輪番住職となり、(寶山住持世記上)同十年十月朔日世壽五十六歳を以て示寂した。(紫巖譜略)【辭偈】辭世の偈にいふ「五十六年、鑽龜打瓦、更問如何、墮也破也」と。(寶山住持世記上、龍寶山大德禪寺世譜)