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第一編 人物誌
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第三章 爛熟期(大阪陣より明治維新迄)
(八三)鶴洲宗壽
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【
大德寺
出世】宗壽、字は
鶴洲
、堺の人、法を
大心
義統に嗣ぎ、享保四年四月
大德寺
第三百世に出世した。【堺一法院住職】勝幡の三世で、堺一法院の住職を兼ねた。(紫巖譜略)一法院は中之町淨土宗の
生善寺
と、同宗の
寶樹寺
との間に介在した寺院である。(堺寺院所書)同九年八月東海寺の輪番住職となり、(寶山住持世記上)同十年十月朔日世壽五十六歳を以て示寂した。(紫巖譜略)【辭偈】辭世の偈にいふ「五十六年、鑽龜打瓦、更問如何、墮也破也」と。(寶山住持世記上、龍寶山大德禪寺世譜)